38-4「どうしたら正しく理解することができるか?」75

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(マルティン・ハイデッガー(1889-1976年)によって、
「現象学的解釈はーー存在者の存在の構造の規定である」という定義が、「文献解釈」に応用されるとき、
◉「その著者からまったく離れ客観的存在者」となって独立した文献の「それ自身をそのもの自身において示すところのもの」の「解釈」が、目標となることを教えられました。
「同一文献」を対象とし、「同一文献」の上に立ちながら、その「文献」の背後に立つ、
◉「著者」の方向への解釈と、
◉「文献」そのものの「存在」の方向への解釈と、まったく相反する二つの方向への解釈が、成立することとなったのです。
これが人類誕生以来、求め続けてきてようやくたどり着いた現代の「文献解釈学」です。
◉それに基づいて、聖書をみます。)

聖書の正しい読了観⑷

◉「祝福と滅び」

地理的、物質的条件が、「聴従的判断」と、「背反的判断」との両方に対する「媒介」となっている例があります。

アブラム(後のアブラハム)とその甥ロトとは、共にエジプトで多くの富と多くの家畜を得て再びカナンに帰りました。

エジプトに下る前、彼らがそこに壇を築いて神を礼拝した場所「ベテルとアイの間」(創世記13:2)にしばらく住みましたが、彼らが新しく得た多くの家畜とその牧者の間に闘争が起こったので、伯父アブラムと甥ロトとは分離することとなったのです。

その時アブラムは甥ロトに対して、好きな牧草地を選び採ることを求め、自分は甥ロトが選んだ残りの地で満足すると語りました。

「そこで、アブラムはロトに言った。
『もしあなたが右に行けば、私は左に行こう。』
と言った。」(創世記13:9)

がそれです。

甥ロトは伯父アブラムのこの言葉に我を忘れて、我欲に満ちた「目を上げて」(創世記13:10)当時、肥沃だったヨルダンの窪地を選び採ってそこに移りましたが、そこはその後、神が滅ぼされるソドムの地でした。

そのとき神はアブラムに向かって、

「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。」(創世記13章)

と命じ、甥ロトの選び残した地をこれに与えました。

この結果、甥ロトの住んだ地ソドム・ゴモラは天災によって滅ぼされ、彼の妻は「塩の柱」となり、彼はその二人の娘と共にようやく山にのがれ、そこに後世に至るまで伝えられた醜い「父子相姦」の生活に陥ったのです(創世記19:30以下)。

これと反対にアブラムは、このソドムとゴモラのために祈り、その甥のロトがこの滅ぼされた町から救い出されたのも、この伯父アブラムの祈りの結果でした(創世記19:29)。

この時のアブラムの「祈り」は、「祈り」というより、下記のように、圧倒的な神に対する挑戦的な食い下がりです。
これが「神と人との対話」の最初の事例です。

「主はまた言われた、
『ソドムとゴモラの叫びは大きく、またその罪は非常に重いので、 わたしはいま下って、わたしに届いた叫びのとおりに、すべて彼らがおこなっているかどうかを見て、それを知ろう。』
その人々はそこから身を巡らしてソドムの方に行ったが、アブラハムはなお、主の前に立っていた。
アブラハムは近寄って言った、
『まことにあなたは正しい者を、悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。
たとい、あの町に五十人の正しい者があっても、あなたはなお、その所を滅ぼし、その中にいる五十人の正しい者のためにこれをゆるされないのですか。
正しい者と悪い者とを一緒に殺すようなことを、あなたは決してなさらないでしょう。
正しい者と悪い者とを同じようにすることも、あなたは決してなさらないでしょう。
全地をさばく者は公義を行うべきではありませんか。』
主は言われた、
『もしソドムで町の中に五十人の正しい者があったら、その人々のためにその所をすべてゆるそう。』
アブラハムは答えて言った、
『わたしはちり灰に過ぎませんが、あえてわが主に申します。
もし五十人の正しい者のうち五人欠けたなら、その五人欠けたために町を全く滅ぼされますか。』
主は言われた、
『もしそこに四十五人いたら、滅ぼさないであろう。』
アブラハムはまた重ねて主に言った、
『もしそこに四十人いたら。』
主は言われた、
『その四十人のために、これをしないであろう。』
アブラハムは言った、
『わが主よ、どうかお怒りにならぬよう。
わたしは申します。
もしそこに三十人いたら。』
主は言われた、
『そこに三十人いたら、これをしないであろう。 』
アブラハムは言った、
『いまわたしはあえてわが主に申します。
もしそこに二十人いたら。』
主は言われた、
『わたしはその二十人のために滅ぼさないであろう。』
アブラハムは言った、
『わが主よ、どうかお怒りにならぬよう。
わたしはいま一度申します、もしそこに十人いたら。』
主は言われた、
『わたしはその十人のために滅ぼさないであろう。』
主はアブラハムと語り終り、去って行かれた。
アブラハムは自分の所に帰った。」(創世記 18:20-33)

《参考》
対話「神と人」「人と人」

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