38-1「どうしたら正しく理解することができるか?」72

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(マルティン・ハイデッガー(1889-1976年)によって、
「現象学的解釈はーー存在者の存在の構造の規定である」という定義が、「文献解釈」に応用されるとき、
◉「その著者からまったく離れ客観的存在者」となって独立した文献の「それ自身をそのもの自身において示すところのもの」の「解釈」が、目標となることを教えられました。
「同一文献」を対象とし、「同一文献」の上に立ちながら、その「文献」の背後に立つ、
◉「著者」の方向への解釈と、
◉「文献」そのものの「存在」の方向への解釈と、まったく相反する二つの方向への解釈が、成立することとなったのです。
これが人類誕生以来、求め続けてきてようやくたどり着いた現代の「文献解釈学」です。
◉それに基づいて、聖書をみます。)

聖書の正しい読了観⑴

◉「地理的にみると~」

聖書の世界をみると、広大な地域にわたった世界が現われています。

原人・アダムとエバが置かれた、ピソン、ギホン、ヒデケル、ユフラテの四つの大河に囲まれた一大緑地である楽園に始まり、両河川地方のバビロニヤから西方のカナン地方に及び、そこからエジプトに至って再度途中の砂漠を経て、カナンに至っています。

(注:この四つの河川については、ピソン川、ギホン川とは諸説あり、正確な位置や現実の川との同定は困難であるようであるが、ピソン川については、ナイル川、ガンジス川、アラビヤ湾、ペルシャ湾、パラコットス運河としている説等があり、ギホン川については、ナイル川とする説がある。また、乾燥して現在は存在していない涸れ川であるという説もある。ーー国立国会図書館)

このカナンを中心として選民(イスラエル・ユダヤ)の生活が営まれましたが、それはその周辺の両河川地方、ナイル地方、小アジア地方と常に関係をもっていました。

この選民のすべての外交的、政治的、軍事的関係は、このカナンの地が上流の三地方との交通貿易の要衝に当たっていた地理的な「橋」であったためです。

しかもこの選民が両河川間、ナイル川畔または小アジア地方に興亡した諸帝国のように、国家的に大きくなれなかったのは、このカナンの地が地理的に限界づけられてきわめて狭かったためです。

選民から教会へと聖書の主体が代わると、福音の世界的使命を果たすために、その地理的世界は拡大されて、

「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。
そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒1:8)

に及んだのです。

具体的には、地理的条件によって北はシリヤのアンテオケ(現在はトルコのハタイ県の県庁所在地であり、アンタキアと呼ばれる。)、海を越えてギリシヤのアテネ、さらに海を越えて当時世界の中心であったローマに及んでいます。

また南はエジプトのアレキサンドリヤに至り、ついにイスパニヤ(ヨーロッパ南西端イベリア半島)までを含み、当時の知られた全世界全域に及んだのです。

この地理的世界がそこに活躍した選民と教会との歴史に及ぼした条件をみると、きわめて顕著なるものがあります。

まず人類のいっさいの苦悩は「土がのろわれ」て、「いばらと蘇(あざみ)とを生ず」るようになり、人間は、

「あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。
あなたはそこから取られたのだから。
あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」(創世記3:17-19)

とされています。

また選民の太祖アブラハムは、神の召命に答えてカナンに移住して後、
「ききんのため」エジプトにも行きましたし、また牧草地争奪のためにその血肉の甥のロトとも分離せざるを得ませんでした(創世記13章)。

彼の子イサクはその一生の間ほとんど「井戸」の争奪のために周囲の民族から悩まされ続けました(創世記26:12以下)。

この地が砂漠地帯であり、その近接地帯であったためです。

イサクの子ヤコブは最初にその神を礼拝するために、

「翌朝早く、ヤコブは自分が枕にした石を取り、それを石の柱として立て、その上に油をそそいだ。
そして、その場所の名をベテル(神殿)と呼んだ。
しかし、その町の名は、以前はルズであった。」(創世記28:18)

のです。

これもその地が砂漠であった当然の結果でした。

ヤコブの晩年に、

「ききんは全世界に及んだ。
ききんがエジプトの国でひどくなったとき、ヨセフはすべての穀物倉をあけて、エジプトに売った。
また、ききんが全世界にひどくなったので、世界中が穀物を買うために、エジプトのヨセフのところに来た。」(創世記41:46)

のです。

このためヤコブを族長とする全イスラエル族はエジプトに食物を求めるようになり、次いでそこに全族が移住することになりました(創世記41:56-42:2、46:8以下)。

出エジプト以後のイスラエルの四十年の生活は砂漠の生活であって、そこでの問題は、「食物」と「飲み水」との問題でした(出エジプト記16:1以下、17:2以下、民数紀11:4以下、20:2以下など)。

この砂漠から彼らがあこがれたカナンの地は「乳と蜜との流れる地」としてのカナンの地でした(出エジプト記3:8など)。

カナンの地に国家を建設した選民が、ついに国家が分裂したのも、ほかに多くの原因はありましたが、その主要な原因は南方(ユダヤ)と北方(イスラエル)との地理的な相違によって起こった文化的な差異でした。

北方は地味が比較的豊かな上に、その位置が商業国フェニキヤに近くその影響を受けたために、元来の遊牧生活から脱することが早かったのですが、南方は地味がやせていたためにいつまでもその半遊牧生活から脱することができず、ここに南北の感情的な隔たりが起きたためでした。

分裂しないでいてさえ地理的条件の制約を受けて、国家的に大きくなれなかったのに、分裂してはその国を保つことができるはずはなかったのです。

こうして選民の国はその独立を失いました。

この選民の国家が滅亡したことは、いわゆる「散在」(ディアスポラ=民族離散)の原因になりました。

多くのユダヤ人は他国に散在し、その地に居住し、二世、三世とその地で生育するようになったのです。

聖書の人間的主体が教会となると、福音が異邦人に及び、これを世界的にしたのは、この「散在地」キリキヤのタルソに育ったサウロあるいはパウロでした。

聖書の全巻的頂上に立って、そこに展開される世界を記すと、以上のような聖書の世界の地理的基盤になります。

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信仰雑話>38-3「どうしたら正しく理解することができるか?」72、次は38-2「どうしたら正しく理解することができるか?」73
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