第二章 教会書

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⁋新約聖書の三大区分中の第二は、「教会書」と呼ぶのが最も適当である。勿論新約聖書それ自身が、教会の書であって、教会がなければ有り得ない書物である。然しこの三つの区分には前述のように、それぞれ時代的区別がある。即ち第一区分は、「子なる神キリストの時代」また は「神国時代」であり、第二区分は「聖霊なる神の時代」または「教会時代」であり、第三区分は、「父なる神の時代」または「完成時代」である。しかして第二区分中の書物は、聖霊降臨に由る教会創設より教会時代の終迄とも云うべき書簡を含んでいる。この意味において、この区分は教会書と呼ばれるのが最も適当である。
⁋この第二区分の冒頭には使徒行伝がおかれている。それは之によって之に続いて置かれている書簡がそれぞれ送らるべきであった背景と理由とが、知られるようにする為である。この書はその最初に記されているように、ルカ伝と同じ筆者により、同じ人に宛てられたものである。然るにルカ伝には、筆者の名が「ルカ」と肩書に記されているが、この書にはこれが附いていない。これはこの書が、ここに占めている位置が非常に重要で、特に公的ともいうべき意義をもっているということを示している。即ちこの書が無ければ、教会の始源に就いては知ることができず、それが何うして出来たかを知ることができない。従ってこれにつゞく書簡も、どういう場合にどういう理由で送られるようになったかという理由も全く知られない。これらの事が今日識られるのは、一にこの書があり、またこの書がこの「位置」に置かれている事に由ってである。
⁋この関係は恰度旧約聖書原典における、第二区分「預言者」の二つの区分——「前預言者」 と「後預言者」との関係に似ている。即ち後預言者とは辞義通り預言者の「語集」であるが、 前預言者は、 それとは全く異り、 ヨシュア・士師・サムエル・列王の四書(六書) を含んでいる。それは預言者の語集を集めても、何故にこれらの預言者がイスラエルに遣わされ、また如何なる場合に彼らがこれらの言を語ったかという事は、全く知られない。それを示す為に預言者らがイスラエルに遣わされなければならなかった背景を示す為に、これらの歴史書が彼らの語集に先行して「前預言者」としておかれたのであった。これが恰度「書簡」に先行してこの「使徒行伝」がおかれた理由と同じである。
⁋書簡の中には、使徒パウロの名を肩書にもったものが十三冊、ヤコブのそれが一冊、ペテロのそれが二冊、ヨハネのそれが三冊、ユダのそれが一冊、他に宛名が肩書に「ヘブル人へ」とあるだけで、筆者の名が全然ないのが、一冊含まれ、計二十一冊となっている。これらの書簡を通して、教会の「在るべき姿」と「在り得る姿」とが、規範的に知り得られるのである。

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第二章 教会書終わり、次からはは第二章 教会書 第一節 使徒行伝概説 1

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