第一章 第四節 ヨハネ伝概説31

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結  文 (二十一章)4

⁋しかしてこの結文においては (二十一章) 献身がその主題として語られていた。献身とは、聖霊の業という「上からの契機」に対する「下からの契機」である。本来知るという事は愛する事であり、愛することこそ知るという事だからである。旧約聖書を始とし、正典全体は対象的傍観者的知とは正反対な、実存的主体的知を主張し、夫婦関係を示す最も密接な人格的愛を以て その実存的知を表現している事においてもその事が窺われる。然も真に「知らしめんとする上からの契機」が先行して初めて、 そこにその愛に対する応答としての「下からの契機」即ち、「献身」が可能となる。新約聖書を流れるこの「所与」と「課題」——ガーベ・アウフガーベ の論理はかく、ヨハネ伝においては、「永遠の生命に至る全き知」の上下の契機として展開されているわけである。

⁋以上四つの福音書が概観せられた。そこに証しせられているイエスは、いうまでもなく「信仰の中リスト」としての同一のイエスである。然しこれら四つの福音書は、彼を同一に描いてはいない。それぞれ信仰的個性的に彼を仰ぎ、彼をその独特の観方によって、証言しているのである。この意味において叙上の概観は、四福音書それぞれの個性と特徴とを把握せんとしたのであり、それを描き出さんとしたものである。福音書の正しき解とはこの意味に他ならない。

⁋然しそれと共に、四福音書を何回となく通読しかつ味読する時、読者の求にはそれらの個性的差異を迎えて、一人の「信仰のキリスト」が宿されるようになる。否・この読者の眼前にその「信仰のキリスト」が立ち・「なんじは我を誰というか?」と問い給うのである。従って四福音書の読者の問題は、この問に対して、何と答うべきかということである。

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第一章福音書>第四節 ヨハネ伝概説31終わり、次からは第二章 教会書

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