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第 二 受肉者の対決 (七章ー十二章)3
(b) 羊の牧者(十章)
⁋光に来る群は次に「羊と牧者」の象徴を以って語られている。光なる受肉者こそ善き牧者 (ひつじかい)であり、
「羊はその声を知るによりて」
これに従い来り(十四節)、 善き牧者は羊のために生命をさえ捨てる者であると記され、
「我には亦この檻のものならぬ他の羊あり、之をも導かざるを得ず、彼らは我が声をきかん、遂に一つの群ひとりの牧者となるべし」
と叙べている。本書はその序文にこの光なるロゴスに就いて
「かれは己の国にきたりしに、己の民は之を受けざりき」
と記し、世の救の為のロゴスの受肉者を紹介しつつ尙お、その民イスラエルの為の救主であるとのイスラエル的伝統を保持している事を示しながら この言にみられるように、選民の檻(おり) 以外の者が彼の恩寵にあずかるべきことを語る。
⁋ここに本書は選民的伝説を保持しつつ、然も世界万民という視野において教会を暗示している事を見逃してはならない。
(c) ラザロの甦り(十一章)
⁋この部分は、光に来る者が、ラザロとその姉妹によって象徴されている。このラザロがその死後四日を経て後受肉者に由て甦えらせられたという出来事の叙述では、本書が特に力説してやまない対象的または傍観的の知と、実存的または信仰的の知とが分析的に峻別されている。ラザロの死を悲しんでいる二人の姉妹マルタとマリヤは、イエスの語り給う語を一つ一つ対象的または第三者的傍観的に受けとり、これを現在的に信仰的に受けとる事を知らなかった。即ちイエスが
「汝の兄弟は甦えるべし」
といい給うのに、マルタは
「おわりの日、復活のときに甦えるべきを知る」
と答え、イエスがラザロの墓の
「石を除けよ」
と命じ給うた時、マルタは
「主よ、彼ははや臭し、四日を経たればなり」
と彼女の自然的 理性的判断に由て、イエスの言を対象的に退けている(三十九節以下)。 この姉妹に対し終にイエスは
「われ汝に、もし信ぜば神の栄光を見んと云いしにあらずや」
といい、「信じ且つ知る」 という逆説的な信仰的知の理解を促がし給うたものとしている。
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