第一章 第四節 ヨハネ伝概説28

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結  文 (二十一章)

⁋ヨハネ伝第二十一章は、第二十章の終に本書の目的が記されて後におかれているので、更めて解釈すべき補足的部分である事が知られる。然し一と度びヨハネ伝を正典的概観の対象とする時、この部分は補足なるが故にこそ、それが現形のヨハネ伝の自己主張の重要契機として解釈されることになる。この記事は、復活の主とペテロとを究極的に大写しにする事により、 全き「献身」の何たるかを語る記事である。その「すなどり」の場に顕現したまうた復活の主を見つけた弟子の「主なり」と告げる言に、ペテロは

「裸なりしを上衣をまといて海に飛び入れり」

と記されている。実にこの一句の中に、過ぎし日のペテロの全生涯と、その最も苦い経験の想起と当惑とが凝収されている。

「主よ、我は汝のために生命を棄てん」

と、 他に先んじてその挺身を告白したペテロは、その主を三度び「知らず」と拒んだペテロである。脱いだ衣を再び身に纏って海に飛び込んだペテロには、実に十字架抜きの人間の献身というものの自己欺瞞と自己暴露とが悲喜劇的に象徴されている。だが底知れぬ自己への失望と後悔に打ちひしがれているペテロに向って復活の主はその愛を確認し給う。それが次の十五節以下の記事である。この愛の確認はペテロに向ってであって、その「愛し給いし弟子」に対してでもなければ、 他の弟子に対してでもない。主はこのペテロに三度び

「ヨハネの子シモンよ、汝この者どもに勝りて我を愛するか?」

と問い給ったことを記している。この結文が語らんとするのは、第一 に・全き献身とは主の十字架に由て初めて可能とされる自己否定であるということであり、第二に・全き献身とは厳しいまでに個性的であり、単独的のものであるという事である。

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第一章福音書>第四節 ヨハネ伝概説28終わり、次は第四節 ヨハネ伝概説29

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