第一章 第四節 ヨハネ伝概説27

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第 五 受肉者の復活 (二十章)

⁋受肉者の復活は三度びその異なった顕現において叙されている。第一はマリヤへの顕現であり、第二は十一弟子への顕現であり、第三はトマスへの顕現である。

(1) マリヤへの顕現 (十一節ー十八節)

 これは空虚な墓に「誰かわが主を取り去れり」と尋ねる群を代表している。それは自然的理性に立ちつつ、直接的連続的に、歴史的イエスを探究する群の象徴であり、それに対する警告である。この群に対し復活の主は、「われに触るな」という拒否を以て、数間隔つて立ち給う。復活の主は直接的認識の対象ではないからである。

(2) 十一弟子への顕現 (十九節ー二十五節) 

この部分は

「この日、即ち一週のはじめの日の夕、弟子たちユダヤ人を懼(おそ)るるに因りて、居るところの戸を閉じおきしに、イエスきたり彼らの中に立ち」

給うと記されている。十一弟子に対するこの顕現は、教会に対する復活の主の関係の象徴的縮図である。世を惧(おそ)れつつ異質的な世の只中におかれた教会の中心に、復活の主は自らを顕わし、「平安なんじらに在れ」と世のものならぬ平安を与え給う。

(3) トマスへの顕現 (二十六節ー三十一節)  

この顕現の記事はさながら、弟子らが証人となるに至るまでの過程の象徴である。弟子らとは初めから受肉者を充全に理解した群ではなかった。否・ 彼らの理解力の限界を洞察した主は、

「我なお汝らに告ぐべき事あまたあれど、今なんじら得耐えず」

といい給わねばならなかった。然し彼らは、その理解の限界と不信仰とを打ち砕かれる迄に受肉者自らこれに近ずき、敢えて「その手と脇とを」見せたまい、その指を主の肉体の釘の痕にさし入れさせ給ふた群である。復活の主の証人として立たせられた弟子らの限界の・主に由る超克がここに映し出されている。

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第一章福音書>第四節 ヨハネ伝概説27終わり、次は第四節 ヨハネ伝概説28

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