第一章 第四節 ヨハネ伝概説25

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第 三 受肉者の決別 (十三章ー十七章)6

⁋以上のように、 この禱告は、「我願う」という言によって示されている三点を中心としているが、その大眼目は、

「これ我等のごとく、彼らの一つとならん為なり」

とせられ、然もこの言が三度び繰り返えされることによって(十一節・二十一節・二十二節)、力をこめて祈られている。
⁋この禱告の中に、本書を一貫している「永遠の生命」の意義解明と、それと連関して、これまた本書を貫ける「知」の問題の説明とが現われている。 この二つの点は、

「永遠の生命は、 唯一の真の神に在す汝と・汝の遺わし給いしイエス・キリストとを知るにあり」

という言によって解明されている(三節)。「永遠の生命」を、 時間的延長における生命、または生命の長さ において理解することは、ものの真実性を歴史的存続に依て観るように慣らされていたユダヤ人として(イザヤ書四十章八節・ペテ口前書一章二十五節等)、 極めて自然なことであった。 従ってヨハネ伝においても、ユダヤ人が、

「聖書に永遠の生命ありと思いて之をしら」

べたことと、

「キリストは永遠にながらえ給う」

と考えたこととが記されている(五章三十九節・十二章三十四節)。 然るにここにはこれを時間的「長さ」においてみずその、「深さ」においてみている。それは「知る」ことにおける深さで、その対象は

「唯一の真の神とその遣わし給いしイエス・キリスト」

とせられている。ここにおいて「知る」ということは、ユダヤ的の世界が予想だにし得ざりし意義において用いられることとなった。この事は既に「天よりのパン」又は「聖餐の教」ののちにおける、ペテロの告白にいわれている

「我らは信じ且つ知る」

という表現においても示されている(六章六十九節)それは実に信じてしかして後に与えられる知であって、知りてしかして信ぜんとする「世」の絶対に知り得ざるものである。

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第一章福音書>第四節 ヨハネ伝概説25終わり、次は第四節 ヨハネ伝概説26

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