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第 三 受肉者の決別 (十三章ー十七章)5
(4) 禱告による遺訓 (十七章)
⁋この部分には、イエスの最後の「禱告」による遺訓が述べられている。この禱告において、先ず注意せられることは、それが「熟時」——「時来れり」——における祈りであり、その意味においてそれはイエスの最後の禱告であったということである。この「時」は既にギリシャ人が彼に謁えることを求めた時、
「我この為に此の時に到れり」
といわれ、更に
「人の子の栄光を受くべき時来れり」
といわれた時であった (十二章二十七節・同二十三師)。しかして彼はこの禱告において三つのことを、その禱告中の重要点としている。第一は
・「我かれらの為に願う、わが願うは世のためにあらず、汝の我に賜いたる者のためなり、 我かれらより栄光を受けたり」
という言によって示されている如く (九節)、この禱告の対象が 明かにされている事である。
「今より我は世に居らず、彼らは世に居り、我は汝にゆく」
といわれているように、イエス御自身が父の許に帰り給いし後の弟子等こそ、彼の関心の的であり、 禱告の対象であり、またその関心の理由である。第二の点は
・「わが願うは、彼らを世より取り給わんことならず、悪より免からせ給わんことなり」
という言に現われている如く(十五節)、 弟子らのこの世における保全への禱告である。彼らを世から取ってしまえば、地上を去り給う彼に憂慮はなくなる。然しそれでは彼御自身この世に来り給いし目的と、彼が彼らを今まで教育なし給いしこととが無に帰してしまう。
「汝われを世に遣わし給いし如く、 我も彼らを世に遣わせり」
という言に、その目的が明示せられている。ここにイエスの中心的関心があったのである。 第三の点は
・「我かれらの為のみならず、その言によりて我を信ずる者のためにも願う」
という言の示す如く (二十節)、弟子らによりて福音に導かれる者のためである。
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