第二章 第二十節 ユダ書概説 2

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⁋然しこのユダ・ペテロ両書の関係は、前者が短かく、後者が長いという事によって、自ら後者の著者が、前者を自己の目的に極めて適合しているものと感じ、これを彼の書簡の核(かく)として用い、更にこれを敷衍(ふえん)して用いたものとするのが当然の推定であろう。然しここで問題となるのは、この両書の本文に共通点が多いという事よりも、むしろこの両書が共通的本文をもちながら、然も両書が示している雰囲気における著しい差異の問題である。即ちペテロ後書には、異端者とその思想とに対する、信仰的誤謬を指摘し、その行為的頽落を暴露し、彼らに対して宛名の信仰者らの採るべき態度を明かに示しつつ、そこには熟慮ある洞察ともいうべきものが示されている。然るに本書においては、斯くの如きことに時間と手数とをかけず、直ちに戦闘的激しさを以て、宛名の信徒らに、敵愾心を刺激し、非妥協的態度をとらしめんとしている。一言でいえば、ペテロ後書には戦略を考えている余裕があるが、本書には性急にして端的なる白兵戦が展開されているのである。
⁋このユダ書が斯くの如き緊密な本文的関係をもつペテロ後書と、斯かる雰囲気的差異をもっている理由は、本書の書き贈られた場合と理由とをみれば、自ら肯(うなず)かれる。このユダ書の書かれた目的は、

「聖徒の一とたび伝えられたる信仰のために戦わんことを勧むる書を、汝らに贈るを必要と思」

って記されたものである(三節後半)。処がこの言の前に

「愛する者よ、われ我らが共に与かる救につき励みて汝らに書き贈らんとせしが」

と記されている。これは筆者が、一つの問安(もんあん)的書簡をこの宛名の人々に書こうとしていた時、不敬虔にして異端的な者どもが、「潜(もぐり)入りたれば」、その筆を急遽(いそいで・とつぜん) 変更してこの書面を書いたのである(四節)。本書の気分が非常に強く且つ鋭いのは、筆者のこの心的状況から出たものであろう。この事は確かに本書とペテロ後書との雰囲気的差異を説明する心理的原因である。ユダ書が斯くの如く挑戦している異端者とその思想とは、上述の如き白兵戦の表現からは、これを明白に知ることができない。それはグノーシス的なるものであることは想定できるが、然しその派生的なるものの何れであるかはわからない。然し大体において、それが一方には性的に頽落したものであり(四、七、十九節)、他方に二元論に立つ者であったことは、知り得られる。即ち本書がキリストに対しても、神に対しても、共に「唯一」という語を附して、この点を力説している事は、彼らのこの立場に対してであろうと思われる(四節・二十五節)。本書中に彼らの在り方を示す為に、旧約正典及び正典外の書物が引用せられているが——荒野における出来事(五節)・堕落せる天使のこと(六節)ソドム・ゴモラのこと(七節)・ミカエルと悪魔との論争(九節)・カインとバラムのこと(十一節)及びエノクの預言(十四節以下)——その何れもこの異端思想の性格を明瞭にする為には——少くとも今日からでは余り役立ってはいない。本書は次の如く区分される。

挨  拶 (一節―二節)
第一  不敬虔者に対する宣告 (三節ー四節)
第二  不敬皮者に対する認識 (五節ー十六節)
第三  不敬虔者に対する識別 (十七節以下)

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第二章 教会書>第二十節 ユダ書概説 2 終わり、次は第二十節 ユダ書概説 3

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