第二章 第十九節 ヨハネ書簡概説 10

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三 ヨハネ第三書概説 2

第二 エロスに支配される者(九節以下)

⁋アガペが自己を否定し、従って他者愛をその本質とするに対し、エロスは在るがままの自己を肯定し、従って自我愛をその本質とする。デオテレベスは、教会の中に在って勢力を張り、「彼らの中に長たらんと欲する」人の類型である(九節)。指導的地位に在る人間の弱点を代表的に暴露し、権勢にあこがれる人間の姿を暴露したのがデオテレべスである。この自己拡充の精神は、神の国なる理想的社会の到来をはばむ人間的原因として、共観福音書にも明示された処である。ゼベダイの子の母が

「なんじの栄光の中にて一人をその右に、一人をその左に坐せしめ給え」

と求めたのに対し、イエスは弟子らに向い

「異邦人の君と認めらるる者のその民を宰(つかさ)どり、大いなる者の民の上に権を執(と)ることは、汝らの知る所なり。然れど汝らの中にては然らず、反って大いならんと思う者は汝らの役者となり、頭たらんと思う者は、凡ての者の僕となるべし、人の子の来れるも、事えらるる為にあらず、反って事うることをなし。またおおくの人の贖償(あがない)として己が生命を与えん為なり」

と告げ給うた (マルコ伝十章三十五節以下)
⁋自己愛・自己肯定・自己拡充に身を委ねている彼は、

「悪しき言をもて我らを罵しり、なお足れりとせずして自ら兄弟たちを接(たす)けず、之を接けんとする者をも拒みて教会より逐い出す」

者である(十節以下)。 彼は正に他者愛に生きる人ガイオの対立者である。何時の世にも斯かる存在は教会の中にも絶えない。アガペに生きる者とは、常に神及びその子イエス・キリストとの交際に与かるが故に、また兄弟に対して自己否定的に交際を求める人である。然しエロスは元来自己愛をその本質とするが故に、自己を神及びキリストとの交際から閉め出すに止まらない。兄弟たちを接けてこれと交わることをせず、これを接けんとする者をさえ拒否して、教会から追放する処まで行かずしては已まない。
⁋その自己拡充の根源である人間の自我愛に対する贖いを為す十字架の主との交際にある者においては、自己愛が王座を占めていられる筈はないというのである。故にデオテレぺスに対しては「悪をおこなう者は未だ神を見ざるなり」と断言せられている。

「人もし我れ神を愛すと云いてその兄弟を憎まば、これ偽者なり。既に見るところの兄弟を愛せぬ者は、未だ見ぬ神を愛すること能」

わぬからである(ヨハネ第一書四章二十節以下)。
⁋本書こそ実に何処の教会にても、何時の時代にも発生し易い事態を指摘し、その人間的原因を暴露し、これに対して採らるべき処置を示している書簡である。

付記

三つのヨハネ書簡とヨハネ伝との間には諸種の類似点がある事が知られ、殊にその共通用語 が非常に多くあるとは一般に認められていることである。左にこれを表にして示すこととしよう (W.H.Bennet:The General Epistles-James, Peter, John and Jude, the Century Bible, p. 72.)

左から
ヨハネ伝
ヨハネ書簡
黙 示 録
新 約 諸 書

世(Kosmos)  78 23 3 80
生命(Zoe)   41 13 17 76
死(Thanatos) 8 6 19 83
真理(Aletheia) 25 20 x 66
虚偽(Pseudos) 1 2 3 4
光(Phos)    22 6 3 41
暗黒(Skotia)    8 5 x 2
暗黒(Skotos)  1 1 x 30
真(alethinos)   9 4 10 4
愛する(agapan) 36 31 4 65
聖愛(Agape) 7 18 2 89
愛する(philein) 13 x 2 10
憎む(misein) 11 5 4 20

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