第二章 第十九節 ヨハネ書簡概説 1

ホーム渡辺・岡村著書新約聖書各巻概説>第二章 教会書>第十九節 ヨハネ書簡概

⁋ヨハネ第一書・第二書及び第三書は、共に一連の書簡として置かれている。相互相似たところもあるし、相異った処もある。従ってこの三書簡は共に観ることが、便宜であろう。

一 ヨハネ第一書概説 1

⁋ヨハネ第一書は、その送り手なる筆者の名も、これを送られた受け取り手の名も、全く記されていない書簡である。書簡であるといわれたが、実は如上の理由の為に、本書が書簡である事を否定し、これを一種の対談的に記した説教の如きものと主張した者もある。然し本書中筆者は自己を指して、「我・我ら」といい、宛名の者を指して「若子・愛する者・若き者・子供・父たち・兄弟」等とよんでいる。しかして本書の内容は一般的といえばそう云えないことはないが、然しこれ等の語を以て指されている宛名の人々の具体的状況が、この「我ら」なる筆者に可成りよく知られていたようにも思われる。従って本書を手紙かまたは説教かの何れであるかを、決定することには多少の疑惑があることを認めなければならない。
⁋此の「我・我ら」と自己を指している筆者が、何者であるかということは、昔から問題とせられてきた。本書が第二書及び第三書と、一連的に置かれている事によって、これら二書の送りなる「長老」ならんとも考えられたし、また本書の用語文体表現形式等が、ヨハネ伝と酷似している為、使徒ヨハネならんと想定する者もあった。この問題は然し本書自身が、何らその作者が何人なるかという事の決定を、要請していないということからみて、正典的立場に立つ解釈者としてはこれを決定しないのが正しいとおもわれる。
⁋然し本書自身が現に示している、ヨハネ伝との相似点を明かに知ることは、解釈者の為すべきことである。先ずその最も顕著なる共通用語をあげると「世界・光・暗・生命・永生・真理・証言・真理の霊」等二十語以上に及んでいる。またその相似節をあげると書簡を「書」とし、福音書を「福」として——書一章二ー四節・福三章十一節及び十六章二十四節/書二章十一・福十二章三十五節/書二章十四節・福五章三十八節/書第十七節・福八章三十五節/書三章五節・福八章四十六節/書三章八節・福八章四十四節/書三章十三節・福十五章十八節/書三章十四節・福五章二十四節/書三章十六節・ 福十章十五節/書三章二十二節・福八章二十九節/書三章二十三節・福十三章三十四節/書四章六節・福八章四十七節 /書四章十五節・福六章五十六節/書四章十六節・福六章六十九節/審四章十六節・福十五章十節/書五章四節・福十六章三十三節/書五章九節・福五章三十二節/書五章二十節・福十七章三節等である (B.F. Westcott: The Epistles of St. John, 1883, pp. Xlff;cf. Heinrich Julius Holtzmann: Lehrbuch der historitch-kritischen Einleitung in das NT, 1892, 3. Aufl., S. 477.)この他両福音書共通の表現形式としては、その思想を述べるに当って、対照的方法を用いていることで、「生と死」・「光と暗」・「愛と憎」等がその顕著な例である。

ーー

第二章 教会書>第十九節 ヨハネ書簡概 1 終わり、次は第十九節 ヨハネ書簡概 2

ホーム渡辺・岡村著書新約聖書各巻概説第二章 教会書>第十九節 ヨハネ書簡概説

 
 

コメントを残す

WordPress.com で次のようなサイトをデザイン
始めてみよう