第二章 第十八節 ペテロ後書概説 3

ホーム渡辺・岡村著書新約聖書各巻概説>第二章 教会書>第十八節 ペテロ後書概説

⁋本書の主頭の第二の点たる・教会の信仰弛緩に対する警告と奨励とは、極めて力強い言を以て与えられている。先ずこの信仰の弛緩は、再臨に対する懐疑的態度の発で、

「主の来り給う約束は何処にありや、先祖たちの眠りしのち万のもの開闢(かいびゃく)の初と等しくして変らざるなり」

という言は(三章四節)、之を如実に示している。 筆者はこれに対して、ノアの時の洪水に由て世界が亡ぼされたことを語り、

「なんじら此の一事を忘るな。主の御前には一日は千年のごとく、 千年は一日のごとし」

という有名な言を以て(同八節)彼らを警告している。この再臨ということに関しては前書も後書も共に語っているが、その語り方が対蹠的である。即ち前書は、朽ちざる嗣業、即ち「上なるもの」を語ることによって主の再臨を指し示すが、後書は人間の終末的堕落と貪欲のすさまじさ、即ち「下なるもの」を語ることによって、主の再臨を指し示しているからである。換言すれば、前書は光への洞察を勧めるに対し、後書は暗黒への洞察を迫るといへる。これがこの点に関してみられる両書の差異である。
⁋叙上の諸種の警告と奨励とは、一つの基底に立って与えられている。即ちそれは本書を一貫している「キリストの知識」である。本書全体をみると、原語は異っているが「知識」または「知る」という語が十二回以上用いられている(一章二・五・六・十二・十六・二十節・二章二十・二十一節・三章三十八節等)。 これこそグノーシス派(霊知派・覚知派) の思想的誘惑に対する、本書筆者の対抗点であったのである。

⁋本書は前述の如く、

「イエス・キリストの僕また使徒なるシメオン・ペテロ、書を我らの神および教主イエス・キリストの義によりて我らと同じ貫き信仰を受けたる者に贈る」

という言を以て始められた書簡である。 しかしてその冒頭の挨拶の最後に、

『願はくば神および我らの主 イエスを「知る」によりて』

と、本書に述べられている一切の警告と奨励との基盤としての「キリストの知識」がその前面に押し出されている。
⁋本書は次の如く区分される。

挨 拶 (一章一節―二節)
第一 主の力への洞察 (一章三節ー二十一節)
第二  欲の力への洞察(二章一節―二十二節)
第三 主の時への洞察 (三章一節—十三節)
結  語 (三章十四節—十八節)

ーー

第二章 教会書>第十八節 ペテロ後書概説 3 終わり、次は第十八節 ペテロ後書概説 4

ホーム渡辺・岡村著書新約聖書各巻概説第二章 教会書第十八節 ペテロ後書概説 1

 
 

コメントを残す

WordPress.com で次のようなサイトをデザイン
始めてみよう