第二章 第十七節 ペテロ前書概説 4

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⁋ペテロ前書は前述の如き筆者と受け取り手との関係において書き送られた書簡であるが、その目的は宛名の信仰者らをして、彼らをかこんでいる迫害に、耐えしめんが為であった。筆者は繰り返えしてこの試練または迫害に就いて述べ、

「愛する者よ、汝らを試みんとて来れる火のごとき試煉を異なる事として怪まず」

といい、

「この故に汝ら今暫(しば)しの程(ほど)さまざまの試煉によりて憂えざるを得ずとも」

といい(四章十二節・一章六節)、この試煉の意味を説明し、彼らを鼓舞している。即ちこの試煉は第一に目的をもっている。

「汝らの信仰の験(ためし)はくつる金の火にためさるるよりも尊くして、イエス・キリストの現われ給うとき、誉と光栄と尊貴とを得べきなり」、

および

「反ってキリストの苦難にあずかれば与かるほど喜べ、なんじら彼の栄光の顕われん時にも喜び楽しまん為なり」

という言などが、この目的を明示している(一章七節・四章十三節)。試練の意義の第二は・それが何ら不思議なことではなく、福音を信ずる者に対して当然起こるべきことだという点である。

「もし汝等キリストの名のために謗(そし)られなば幸福なり、栄光の御霊すなわち神の御霊なんじらの上に留まり給えばなり」、

および

「人もし受くべからざる苦難を受け、神を認むるに因りて憂に堪うる事をせば、これ誉むべきなり」

という言などはこれを明示している。その三は・この迫害と試練とは決して永久的のものではなく、「されど若しキリステアンたるをもて苦難を受けなば、之を恥ずることなく、反ってこの名によりて神を崇めよ。既に時いたれり、審判は神の家より始まるべし。まず我等より始まるとせば、神の福音に従わざる者のその終局は如何にぞや」という言などがこの事を 明示している (四章十六ー七節)。迫害の意義の第四は・それが彼らのみのことではなく、信仰にある他の兄弟らも之を経験するという点である。

「なんじら信仰を堅うして彼をふせげ、なんじらは世にある兄弟たちの同じ苦難に遭うを知ればなり」

という言などがこれを示している (五章九節)。 しかしてこれ等凡ての奨励の根拠として主イエス自身の例をひき、

「汝らは之がために召されたり、 キリスト汝らの為に苦難をうけ、汝らをその足跡に循わしめんとて模範を遺し給えるなり」

といっている(二章二十一節・四章一節・十三節)。

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第二章 教会書>第十七節 ペテロ前書概説 4 終わり、次は第十七節 ペテロ前書概説 5

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