第二章 第十七節 ペテロ前書概説 2

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⁋本書の筆者ペテロと受け取り手なる宛名のキリスト者との関係は、ヘブル書のそれの如く個人的に親密のものではなく、といってヤコブ書のそれの如く、単なる一般的のものではなかったらしい。恰度その中間ともいうべき間接的ではあるが、然し個人的関係のそれであったことが、本書の結語に見えている。即ちそこにはペテロの同労者にして同じ所にいたシルワノの名と、ペテロが「わが子」と呼んでいるマルコからの伝言も録されている。茲に「バビロンに在る教会」汝らに安否を問う、と記されているが、原文にはこの「教会」という語はなく、女性定冠詞が記されているのみである(he en Babuloni)とあるのみで、この意味で改正英訳は之を She that is in Babylon と訳している。従って或る人々はこの女性定冠詞は、ペテロと共にロマにあった、ペテロの妻ならんとしている。或はこの解釈の方が、この文章の続きに「我が子マルコも安否を問う」とあることからみて、正しくはないかと思われる。
⁋本書簡の筆者ペテロは通称をシモンと謂いガリラヤのベテサイダの人で、ピリポ等と故郷を共にし、漁夫の家の出であった(ヨハネ伝一章四十四節)。彼の父はヨハネまたはヨナと称ばれ、彼の兄弟はアンデレとよばれていた。しかしてそのアンデレは、バプスマのヨハネの弟子であった。彼とアンデレとがイエスを知ったのは、アンデレが師バプテスマのヨハネから、イエスを紹介されて彼と共に留り、その結果イエスを兄弟ペテロに紹介した時に始っている。この時イエスが彼に「目を注(と)めて言」ったと云われて居る

「汝はヨハネの子シモンなり、汝ケパ(釈シャバ・けばペテロ)と称えらるべし」

という言が、彼の元来の名であったシモンから、アラム語で「ケパ」・ギリシャ語で「ペテロ」と改名の原因となったのであった (同三十五ー四十二節)。
⁋このペテロがイエスの弟子となって、彼に従ったのは、このアンデレに紹介された時というよりは、寧(むし)ろ彼とアンデレとが父と共にガリラヤ湖に網を打っていた時、恰度イエス其処を通りかかり、

「我に従い来れ、然らば汝らを人を漁る者となさん」

と、彼らを召し給うた時であった。両人はこの召によって、「網と舟と父と」を置いて、彼に従ったのであった(マタイ伝四章十八ー二十二節)。これは恰度イエスが、「天国は近ずきたり」と、その宣教の第一声を語り給うた直後のことであった。彼らは然し「無学の凡人」であったから(使徒行伝四章十三節)、今日の言でいう思想的方面には伸びなかった。だがペテロは一面多感であったと共に、他面非常に洞察力に富んでいた。この前者の特徴が彼をして、「人さきにものをいう」型の人間とした。イエスがその苦難に就いて語り給うた時、

「主よ・然(しか)あらざれ・この事なんじに起らざるべし」

といって、イエスに

「サタンよ、我が後ろに退け」

と叱られたり(マタイ伝十六章二十二ー三節)、之に似たことが非常に多く起った。殊に変貌の物語においては、彼がいった言の引用にさいして、特に

「ペテロ差し出でてイエスに云う」

と記されている(マタイ伝十七章四節・マルコ伝九章五節)。また彼の洞察的であったことを示すものとしては、ピリポ・カイザリヤで・イエスが、「なんじらは我を誰と云うか」と尋ね給うた時、真先に答えたことであった(マタイ伝十六章十三節以下)。

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第二章 教会書>第十七節 ペテロ前書概説 2 終わり、次は第十七節 ペテロ前書概説 3

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