第二章 第十六節ヤコブ書概説11

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第二  行為に依る人格の統御1 (三章ー五章)

⁋この部分では一応信仰の問題をおき、人間の人格的統一という面にその主題を向け、人格において占める行為の位置の解明を進める。しかして如何に人格と行為が不可分離的なものであるかを示し、行為こそ人格の統御の場であることを論証せんとする。しかしてここに行為に由て完成せられる信仰との聯関がみられている。この部分は第一に行為統御の困難 (三章一節—十二節)、第二に行為統御の秘訣(三章十三節ー五章)からなる。

(1) 行為統御の困難 (三章一節—十二節) 

⁋この部分は人格と行為との不可分離的なること及び行為統御の困難を、人間とその人間の語る「言(ことば)」との関係から論述する。即ち

「我らは皆しばしば躓(つまず)く者なり、人もし言に蹉跌 (つまづき)なくば、これ全き人にして全身に轡(くつわ) をつけ得るなり」

といい(三章二節)、語られる言とは、その語り手の人格を反映するものであり、言とはその人格の投映画である事に注意を喚起する。しかして人格に対するその言の位置の重大性を、馬を御するに当っての轡(くつわ)、航海する船の舵(かじ)の比喩を以て語る。

「舌もまた小さきものなれど、その誇るところ大いなり。視よ、いかに小さき火の、いかに大いなる林を燃すかを。舌は火なり、不義の世界なり、舌は我らの肢体の中にて、全身を汚し、また地獄より燃え出でて一生の車輪を燃すものなり」

と述べ、人間にとり、如何に行為の統御が至難なものであるかを語る。また

「獣・鳥・匍(は)うもの・海にあるもの等さまざまの種類みな制せらる、既に人に制せられたり。されど誰も舌を制すること能(あた)わず、舌は動きて止まぬ悪にして死の毒の満つるものなり」

と、更に語をついで、万物の霊長にして自然万般の統制を以てその務とする人間にして、なお自己の体の一部なる「舌」をさえ統御する事が出来ないという矛盾を自覚せしめる。然も、人間における行為統制の困難さは、更に怖るべき矛盾の原因であることを示している。即ち

「われら之をもて主たる父を讃め、また之をもて神に象(かたど)りて造られたる人を詛う。讃美と呪詛と同じ口より出ず。わが兄弟よ、斯かる事はあるべきにあらず、泉は同じ穴より甘き水と苦き水とを出さんや。わが兄弟よ、無花果の樹、オリブの実を結び、葡萄の樹、無花果の実を結ぶことを得んや」

と言を尽して・人間存在の矛盾を指摘し、以て人格的渾一体なる人間において、如何に行為の統御が至難な事柄であるかを認識させる。

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第二章 教会書>第十六節ヤコブ書概説 11 終わり、次は第十六節ヤコブ書概説 12

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