第二章 第十六節ヤコブ書概説8

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⁋以上吾人はヤコブ書を概観するに当り、ヤコブ書の個性的主張がその相反的な契機として呼び起すロマ書をとり、両者の緊張的解釈の必然性を辿ってきた。今ヤコブ書を単独に概説するに当り、これに対する相反的主張(信仰義認)は解釈者の衷に先ず、ヤコブ書の個性をより鋭く浮かび上らせる為のかくされたる引き立て役とならなければならない。
⁋さて本書の思想を、本書自身の構造に即してみると、そこには「行為こそ信仰の本質なり」という結論が与えられている。従って本書はこれを次の二項目において辿らせる。

挨  拶 (一章一節)
第一  行為に依る信仰の完成 (一章二節ー二章二十六師)
第二  行為に依る人格の統御 (三章ー五章)

第一  行為に依る信仰の完成1 (一章二節―二章二十六節)

⁋この項の最後は

「霊魂なき体の死にたる者なるが如く、行為なき信仰も死にたるものなり」

という言で結ばれているが (二章二十六節)、これはそのままこの項全体に対する結論をなす言である。行為の伴わない信仰は信仰とはいえない、信仰は行為に由てのみ全うせられる。故に信仰の徹底し・一貫せるところ必ずその信仰は行為として表現される。行為なき信仰はその信仰の徹底と一貫性を欠く証拠であり、従って信仰の信仰たる本質を欠くことであるというのである。この事を論証する為次の三点があげられている。第一は試錬なき信仰の未完性であり(一章二節ー十八節)・第二は聖愛なき信仰の欺瞞性であり(一章十九節ー二章十三節)・第三は行為なき信仰の空虚性である(二章十四節ー二十六節)。

(1) 試錬なき信仰の未完性 (一章二節—十八節)

⁋この書の冒頭には

「わが兄弟よ、なんぢら各様の試錬に遭うとき、ひたすらこれを歓喜とせよ。そは汝らの信仰の験(ためし)は、忍耐を生ずるを知ればなり。忍耐をして全き活動(はたらき)をなさしめよ。これ汝らが全くかつ備わって欠くる所なからん為なり」

といい(二十四節)、試錬は信仰の験としての価値をもち、従って試錬は人を全く欠くる所なき者とする為に必須の要因であるという。信仰は斯く全きこと、欠くることなき事を要請するが故に、

「汝らの中もし知恵の欠くる者あらば、咎(とが)むることなく、また惜しむ事なく、凡ての人に与うる神に求むべ」

きことを勧める(五節以下)。即ち試錬が信仰の完成として働く為には、特定の条件が必要である。試錬の原因を遡って、誘惑に負けたことを「神われを誘いたもう」とこれを他者の責任とすることはとんでもない誤謬である。それは、

「神は悪に誘われ給わず、又みずから人を誘い給うこと」

はないからであり、人の誘われるのは、他者の責任ではなくて自己の衷なる欲望に引かれた結果だからである (十三節以下)。それ故その試練が信仰の完成として働く為の条件は他でもない、「忍耐をして全き活動をなさしめ」るという一事であり、その為に「凡ての善き賜物と凡ての全き賜物」の与え主なる神に二心なくかつ疑うことなく、信仰をもて求むるという事である(五節及十七節)。

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第二章 教会書>第十六節ヤコブ書概説 08 終わり、次は第十六節ヤコブ書概説 09

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