第二章 第十六節ヤコブ書概説5

ホーム渡辺・岡村著書新約聖書各巻概説>第二章 教会書>第十六節ヤコブ書概説

⁋さて聖書正典の全体的主張に耳を傾けんとする吾人の前に、この両書は相並んで立ち、両書ともそれぞれの主張を辞義通りに解釈せられんことを要請する。斯くの如き相互対立的な二主張の前に立つ解釈者が陥り易い誘惑は大きくは二種類に分けて考えられる。一は教義的立場を固執せんとする誘惑であり、他は歴史的立場に立ってこれを解決せんとする誘惑である。先ず教義的立場を固執する者における誘惑の第一は、彼が教えられ、それに依て育てられた教会の教義的伝統に立って、両主張のうちの何れか一を誤りなりとして、他のみを採るということで ある。第二は教義的偏見から一を採り他を棄てない迄も、一に重点をおき、他を一から眺め、一の立場から他をも解釈し直してしまうという誘惑であり——彼が理論的原理的に傾き易い人か具体的実践的になり易い人か・神学尊重者か体験尊重者かという如き人間的類型あるいは個人的傾向に従って、二主張の何れかに優位を与えてしまう結果、両書のもつ各々の主張を百パーセント活かし得なくするという誘惑である。若しこれらの誘惑に陥ったとしたら、この解釈者は、彼が選んだ何れか「一書の解釈者」であっても、「正典の解釈者」としての資格は喪失することになる。何故なら彼は、相互対立的な両主張に平静に耳を傾け得ず・その結果この両書を含んでいる「正典の要請する解釈され方」を拒否することになるからである。
⁋相互対立的な二主張の前に立っ解釈者が陥り易い誘惑の他の一つは、両者を歴史的状況の変化過程の系列に位置ずけして、これを歴史的に・平面的に調和せしめるという解釈法である。即ち歴史的立場からこれを眺めれば、一書の主張が生れる時、それはその主張が発生した地盤と環境において、当然生るべき理由があったから生れたのである。然れば相対立せる如き主張・一が必然的に変化して他が結果したのであり、両者は併せ、相補う時、初めて完全なものが 総和として出てくるという観方である。即ちこれは加え算式の解釈法である。最初に考察された方は切り捨てる解釈であり、後の方は全く加え得ない対立的なものを加えようとする無理を犯しているわけである。

ーー

第二章 教会書>第十六節ヤコブ書概説 05 終わり、次は第十六節ヤコブ書概説 06

ホーム渡辺・岡村著書新約聖書各巻概説第二章 教会書第十六節ヤコブ書概説

 
 

コメントを残す

WordPress.com で次のようなサイトをデザイン
始めてみよう