第二章 第十五節 ヘブル書概説 20

ホーム渡辺・岡村著書新約聖書各巻概説>第二章 教会書>第十五節 ヘブル書概説

結  尾 (十二章ー十三章)

⁋その一大キリスト論を論述して、理論的にその帰結を述べ終ったへブル書の筆者は、今やその本来的結尾に到達した。その本論が終って結尾に移ったことを、次の荘厳な言で述べている。

「この故に我らは斯く多くの証人に雲のごとく囲まれたれば、凡ての重荷と纏(まと)える罪と除け、忍耐をもて我らの前に置かれたる馳場(はせば)をはしり、信仰の導師(みちびきて)またこれを全うする者なるイエスを仰ぎ見るべし。彼はその前に置かれたる歓喜のために、恥をも厭わずして十字架をしのび、遂に神の御座の右に坐し給えり。なんじら倦み疲れて心を喪うことなからんために罪人らの斯く己に逆いしことを忍び給える者をおもえ」(十二章一ー三節)。

この前置の後に筆者は、この部分に諸種の極めて細かな実践的注意と警告と奨励とを与えている。

この結尾の内容は・(a)懲戒の訓練的意義に就て(十二章四ー十三節)・(b)教会の純潔に就て (同十四—十七節)・(c)旧契約の恐怖と新契約の光栄(同十八ー二十四節)・(d)震われぬ国に就て (二十五ー二十九節)・(e)諸種の奨励に就て(十三章一ー六節)・(f)異なる教に対する警告に就て(同七ー十七節)・(g)個人的要請に就て(同十八—十九節)・(h) 読者に対する祝福 (同二十ー二十一節)・ (i)挨拶(同二十二―二十五節)となっている。

⁋ヘブル書の教えている、旧約の一般的祭司制度を媒介としたキリスト論の意義には、非常に大いなるものがある。本書のキリスト論によって、初めて新約聖書を読む者は、旧約聖書の祭司制度一般の新約的または福音的解釈を学ぶことが出来る。勿論その個々の部分に就ての新約的解釈は、この他の新約諸書中に散見される。然し本書における如き体系的ともいうべきその解釈は、他にこれを見ることはできない。聖書を信ずるという者は、旧約預言に対する新約的解釈を学ぶのみならず、同時に旧約祭祇の新約的再解釈に深き理解をもつように努めなければならない。斯くする事によって、最初彼に対して乾燥無味な書物でしかなかった、出エジプト記の大半と・レビ記全体と・民数紀略の大半とが、このヘブル書の理解に従って、全く新なる興味と味読との対象となるであろう。

ーー

第二章 教会書>第十五節 ヘブル書概説 20  終わり、次は第十六節ヤコブ書概説 01

ホーム渡辺・岡村著書新約聖書各巻概説第二章 教会書>第十五節 ヘブル書概説 

 
 

コメントを残す

WordPress.com で次のようなサイトをデザイン
始めてみよう