第二章 第十五節 ヘブル書概説 17

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第四 犠牲より勝れる者2(八章一節—十章三十一節)

⁋然るに大祭司なるキリストは、これと全く異り、その聖なる血を以て、完全なる贖罪をなしとげ給うた。

「然れどキリストは来らんとする善き事の大祭司として来り、手にて造らぬ此の世に属せぬ更に大いなる全き幕屋を経て、山羊と犢(こうし)との血を用いず、己が血をもて只一とたび至聖所に入りて、永遠の贖罪を終えたまえり。もし山羊および牡牛の血、牝牛の灰などを汚れし者にそそぎて、共の肉体を潔むることを得ば、まして永遠の御霊により瑕なくして己を神に献げ給いしキリストの血は、我らの良心を死にたる行為より潔めて活ける神に事えしめざらんや」

とは(九章十一一十四節)、この部分の中心である。
⁋然し大祭司の献げ給いし御自身の血の為せしことは、是だけではない。ここに再び二つの世界の一方がこれによって潔められると共に、他方は同じくこれによって潔められる。これこそ実に「勝りたる犠牲」なるキリストの血の「ちから」である。

「この故に天に在るものに象(かたど)りたる物は此等にて潔められ、天にある物は此等に勝りたる犠牲をもて潔めらるべきなり。キリストは真のものに象(かたど)れる、手にて造りたる聖所に入らず、真の天に入りて今より我等のために神の前にあらわれ給う」

のである(九章二十三ー四節)。ここに大祭司であり、然る「勝りたる犠牲」となり給えるキリストによって、完全なる救が成就せられた。しかして彼は

「己を待ち望む者に再び現われて救を得させ給う」

のである (同二十八節)。斯くして筆者はもう一度結論的に、具体的の駄目を押して(十章十九一三十一節)、

「斯(かか)る赦(ゆるし)ある上は、もはや罪のために献物をなす要なし」

と、この書簡の書かれたる具体的目的を、一言で表現している(十章十八節)。

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第二章 教会書>第十五節 ヘブル書概説 17  終わり、次は第十五節 ヘブル書概説 18

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