第二章 第十五節 ヘブル書概説 16

ホーム渡辺・岡村著書新約聖書各巻概説>第二章 教会書>第十五節 ヘブル書概説

第四 犠牲より勝れる者1 (八章一節—十章三十一節)

——此の項に対する奨励(十章十九一三十一節——

⁋この部分においては、前述の如く、本書全体の立論の基礎となっている、「上下関係にみられた二つの世界」という観方が、「形と影」または「型と影」の関係として表われている。

「今・ いう所の要点は斯くのごとき大祭司の我らにある事なり。彼は天にて稜威の御座の右に坐し、聖所および真の幕屋に事え給う・この幕屋は人の 設くるものにあらず、主の設けたもう所なり」

と(八章一ー二節)、筆者は先ず地上の幕屋と天上の幕屋とを対照し、然も実質的に存在するのは、むしろ天上のそれであって、地上のそれは天上のそれの影でしかないことを力説している。しかしてアロン系の祭司らが奉仕したのは、「天に在るものの型と影と」であるとし、メルキゼデクの位に等しき大祭司キリストは、此の天上の幕屋に事(つか)え給うものであるとしている。更にもう一度筆者は旧(ふる)きものが過ぎ行き、新しきものが立てられるという関係を述べて、

『されどキリストは更に勝れる約束に基きて立てられし優れる契約の中保となりたれば、更に勝る職を受け給えり。かつ初(はじめ)の契約もしかくる所なくば、第二の契約を求むる事なかりしならん….既に「新し」といい給えば、初のものを旧(ふる)しとし給えるなり、旧びて衰(おとろ)うるものは、消え失せんとするなり』

と(八章六・七・十三節)、繰り返えして論証している。しかしてエレミヤ書における新契約の預言を、ここに彼が引用していることは注意に価する(同八節・エレミヤ書三十一章三十一節)。しかしてこの地上の聖所における具体的中心を述べて、

「おおよそ大祭司の立てらるるは供物と犠牲とを献げん為なり、この故に彼もまた献(ささ)ぐべき物あるべきなり」

といい(八章三節)、この部分において彼がキリスト論の核心として述べんとする、「勝りたる犠牲」としてのキリストを示すべき、その準備としている(九章二十三節以下)。
⁋筆者は更に進んで、この地上の幕屋の構造とそこにおける奉仕に関する細かい説明を与え、具体的には、それが「大贖罪日」における中心的行事に集中していることを述べている(レビ 記十六章)。

「奥なる幕屋には大祭司のみ年に一度おのれと民との過失のために献ぐる血を携えて入るなり…..この幕屋はその時の為に設けられたる比喩(たとえ)なり、これに循いて献げたる供物と犠牲とは、礼拝をなす者の良心を全うすること能わざりき」

といい(九章七ー九節)、アロン系の大祭司とその献げ物とが、それが目的としている贖罪を全うすることができないということと、併せて礼拝者の良心を全うすることができなかったといっている(九章一一十節)。

ーー

第二章 教会書>第十五節 ヘブル書概説 16  終わり、次は第十五節 ヘブル書概説 17

ホーム渡辺・岡村著書新約聖書各巻概説第二章 教会書>第十五節 ヘブル書概説 

 
 

コメントを残す

WordPress.com で次のようなサイトをデザイン
始めてみよう