第二章 第十五節 ヘブル書概説 14

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第三 アロンより優れる者 2(四章十四節―七章二十八節)

(2) メルキセデクの位に等しき大祭司 (六章一節―七章十節)  

⁋この大祭司は、然し旧約的権威を事実上もっているのである。筆者は先にキリストが「メルキセデクの位に等しき祭司」たることの引用を数回したが(五章七、十節)、その詳論はこの項まで延期していた。今や彼の筆はその点の論述に入っている。
⁋創世記をみるとアブラハムがいわゆる四王を追撃してこれに勝ち、その帰途 「サレムの王メルキセデク」に迎えられ、その祝福を受けたということが記されている(十四章十七節以下)。ヘブル書の筆者は、このメルキセデクこそ、この新約の大祭司の型なりとしている。

「此のメルキゼデグはサレムの王にて至高き神の祭司たりしが、王たちを破りて還るアブラハムを迎えて祝福せり。アブラハムは彼に凡ての物の十分の一を分け与えたり。その名を釈けば第一に義の王、次にサレムの王、すなわち平和の王なり。父なく・母なく・系図なく・齢の始なく・生命の終なく、神の子の如くにして限りなく祭司たり」

と(七章―ー三節)、筆者は先ずこのメルキゼデクの予型的說明を与え、彼の論述の基礎としている。即ちアブラハムがメルキセデクに「分捕物の十分の一」を与えたということは、前者が後者の尊貴なることを認めたことを意味している。しかして後世のイスラエルのレビ的祭司は、レビ人から十分の一を取ることが規定せられていた。それは祭司はレビ人に勝っていたからである。してみればその祭司レビ人の太祖であるアブラハムが、十分の一を献げたというメルキセデクは、イスラエルの祭司一切より優れる者であった。

「されど此の血派(ちすじ)にあらぬ彼(メルキゼデク)はアブラハムより十分の一を取りて約束を受けし者を祝福せり。これ小なる者の大なる者に祝福せらるるは論なき事なり」

とは 彼の論理である。しかして後世のレビ族の凡ては祭司をも含めて——このアブラハムがメルキゼデクに祝福せられた「時に、レビはなお父の腰に在った」のであって、その意味において、彼らも亦より小なる者として、より大なるメルキセデクの祝福を受けたわけであった。しかしてこの「メルキセデクの位に等しき大祭司と称えられ給」うたのが、この新約の大祭司キリストである。しかして之によって、此の大祭司は、旧約的権威をも、併せ保持するものとせられるのである。これが筆者の第二の大祭司論である(六章十三節―七章十節)。

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第二章 教会書>第十五節 ヘブル書概説 14  終わり、次は第十五節 ヘブル書概説 15

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