第二章 第十五節 ヘブル書概説 8

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⁋聖書は恒にこの論理構造で語っている。然し特にそれを具体的に示した例をあげれば、旧約 へのヨシュア記第一章のそれである。イスラエルを出埃及せしめた指導者モーセは、約束の地カナンを活か彼方に望み視ただけで、ネボ山に死んだ。かくてそのカナン入国の指導の責任はモーセの後継者ヨシュアに課された。その若きョシュアを励ます神の言として語られたのが

「汝いまこのすべての民とともに起ちてこのヨルダンをわたり、我がイスラエルの子孫に与うる地にゆけ、凡そ汝らが足のうらにて踏む所は我これを尽く汝らに与う。我が前にモーセに語りし如し」

という言である(一章二ー三節)。カナンは「既に」選民イスラエルに与えられた。故にその「所有権」はイスラエルのものである。その如くカナンはイスラエルに対して「所与」の地ではあるが、彼らは進んで之を己が足のうらで踏み取り、その所有権を具現するという「課題」の地である。神の賜は「所与」であって(立場)、然も「課題」である(状態)、といわるべき理由がそこにある。この特殊構造がまた新約の主流をなすものであることは前述した通りである。ヘブル書はこの「所与」と「課題」の構造を、邦訳では「既に」と「未だ」という副詞 の組み合せを用いて表現している。
⁋この「立場と状態」Standing & State または「所与と課題」Gabe & Aufgabeの関係が、全く信仰的に結びつくのは、一に信仰者が「勝れる者」即ち「大祭司イエス」を、端的に仰ぐ時においてのみである。しかしてその時にのみ「既に」という既得と「未だ」という未得とが、「今日」その「獲得」となるのである。 本書がこの二つの 副詞を用いると共に、第三の「今日」という話を、繰り返えして用いているのはこれが為である。
⁋叙上の思想を内容としている本書は、その全体の構造からみると、二つのものの交錯からなっている。即ち一は「基督論体系」であって、他は「実践的奨励」である。先ず基督論体系をみると、それは第一章より第十一章までに論述せられ、実践的奨励をみると、第十二章より第十三章に述べられている。この全体的構造からいえば、ロマ書またはガラテヤ書と、その構造を同じくしているようにみえる。処が本書はこの大構造の中に、更に基督論の一小論述が終る毎に、一小奨励が各部分に交錯的に置かれているという、極めて複雑なる形をもっている。本書が初学者に一見難解に思われるのはこれが為である。従って本書を理解する為には、これを三段に学ぶことが便宜である。即ち先ず基礎的思想たる基督論のみを学び、しかして後実践的奨励の部分を学び、更に斯くして後これら二つの部分を、本書の現在の形において綜合的に学ぶのである。

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第二章 教会書>第十五節 ヘブル書概説 8  終わり、次は第十五節 ヘブル書概説 9

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