第二章 第十五節 ヘブル書概説 6

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⁋抑(そ)も旧約に描かれた選民とは「祭司の国」たるべき使命を担わせられた民であった(出埃及記十九章六節)。 祭司の使命とは、その民全体の罪を担って神の前に代表的に執成(とりな)しをするということである。選民イスラエルの選みも、万民の罪の担い手として神の前に代表的に執成す為の選みであった。然し神に対する不服従と背反とを以て彩られた選民の歴史は、彼らがこの選民的使命には耐えられなかったことを立証した。この不服従ということが解決せられていないままで、この選民の歴史はイエス・キリストの出現にまで至った。従ってイエスなる大祭司は選民の果し得ざりし使命を完遂し給う者である。故にこの大祭司において、初めて旧約の祭祇が指し示していた処が完全に具現されたのである。イエスが神の究極的啓示である所以は此処に観られる。それでは選民の代表たる大祭司の指し示していたものとは何であろうか。それは聖旨に対する「絶対的服従」ということである。これこそ受肉者イエスの、大祭司としての使命の中心なりとみるのが、本書である。

「この故にキリスト世に来るとき云い給う・なんじ犠牲と供物とを欲せず、唯わが為に体を備えたまえり。なんじ燔祭と罪祭とを悦び給わず、その時われいう・神よ、我なんじの御意を行わんとて来る、我につきて書の巻に録されたるが如し」

という言も (十章五ー七節)、

「キリストは肉体にて在(いま)ししとき、大いなる叫と涙ともて、己を死より救い得る者に祈と願とを献げ、そのうやうやしきによりて聴かれ給えり。彼は御子なれど、受けし所の苦難によりて従順を学び、かつ全うせられたれば、凡て己に順う者のために永 遠の救の原となりて、神よりメルキゼデクの位に等しき大祭司と称えられ給えり」

という言も(五章七ー十節)、共にこの事を示している。殊にこの後の言において、ゲッセマネの苦禱が、この意味に解釈されていることは注意に価する。

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第二章 教会書>第十五節 ヘブル書概説 6  終わり、次は第十五節 ヘブル書概説 7

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