第二章 第十五節 ヘブル書概説 5

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⁋次に本書のキリスト論構成の「基礎」をみると、それは「二つの世界」から成っている。福音書においては、この「世界」と「神の国」という二つの世界が、「時間的前後関係」にみられているが、ここにはこの二つの世界が「空間的上下関係」においてみられている。

「今いう所の要点は斯くのごとき大祭司の我らにある事なり。彼は天にて稜威(みいつ)の御座の右に坐し、聖所および真の幕屋に事えたもう。この幕屋は人の設くるものにあらず、主の設けたもう所なり… 彼らの事うるは、天にある物の型と影となり、モーセが幕屋を建てんとする時に、慎しめ、山にて汝が示されたる式(かた)に效いて凡ての物を造れ・との御告を受けしが如し」

という言こそ(八章一一五節)、本書キリスト論の基礎をなしている言である。此の基礎的の観方は、本書に一貫して表われている。即ち地上の「聖所」は「世に属する聖所」であり、その幕屋は、一つの「比喩」(a figure for the time present)であり、その律法は

「来らんとする善き事の影にして、真の形にあらねば」

といわれている(九章一・九節・十章一節)。これに対してキリストは地上に来り給うて、上述の完全なる贖罪を成しとげ、地上なるこれら一切のものを除き、これを全く必要なきものと為し給うた。しかして天に帰り、真の幕屋において、大祭司として事え給うのであり、また

「キリストは真のものに象(かたど)れる、手にて造りたる聖所に入らず、真の天に入りて今より我等の為に神の前にあらわれ給う」

のである(九章二十四節)。この空間的上下関係において、この二つの世界がみられるということは、その萌芽ともいうべきものを旧約書において見出すことができる。即ちヘプル書自身が引用している出エジプト記第二十五章第九節の他、詩篇の詩人は、

「エホバよみことばは天にてとこしえに定まり」

という言を歌っているが、 此処にもそれを見ることが出来る(百十九篇八十九節) 。
⁋本書は斯かる雄大なる構想において、そのキリスト論を論述しているが、然しその実際的目的達成の為に、更にこれを具体的奨励または警告という実践的の形において述べている。即ちこの大祭司にして、旧約の完成者なるキリストが、その身を献げて完全なる贖罪を成し就げ、

「真の天に入りて今より我らのために神の前にあらわれ給」

うたにも拘らず、神の約束し給いしことが、地上において信仰者の間に未だに実現せられていないのは、何故なるかと問い、それこそ信仰者の側において、真の「信仰」が欠けているからであるとしている。この「信仰観」こそ、本書の具体的または実際的特徴ということができる。本書の具体的の説得力を知る為には、この信仰観について知らなければならない。

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第二章 教会書>第十五節 ヘブル書概説 5  終わり、次は第十五節 ヘブル書概説 6

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