第二章 第十五節 ヘブル書概説 4

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⁋本書の形式が書簡であると前述せられたが、この事は単に本書の形式の決定というのみのことではない。即ちこの事が本書の解釈に対する重要な一つの条件となるのである。というのは本書の内容を成している旧約の祭司制度を媒介とせるキリスト論が、決して机上の神学論ではなく、上述の危機に際してこの一群の人々を救い得る「活きたキリスト論」であったということが、之によって示されるからである。
⁋本書簡は上述の実際的目的の為に、その受け取り手なる人々を教えるに、極めて複雑なるキリスト論を以てしている。従って本書を理解する為には、このキリスト論構成の媒介と基礎とを理解する必要がある。先ずその「媒介」とせられているものは、前述のように、旧約の祭司制度ひいては祭祇制度である。即ちキリストはそれら一切を置換し・成就し・従ってそれら一切を如何なる意味においても必要なからしめる者である。本書中に「まされる」という語が非常に多く用いられているのは、この事を強調せんが為である。抑(そ)も旧約はその辞義の如く、「古き契約」の上に建てられたものであった。しかしてその中心は幕屋を場所として、そこに奉仕する大祭司を頂点とする祭司レビ人と、彼らによってそこの祭壇に献げられる犠牲とであった。然しこれらは 凡て「影」であって、「真の形」ではなかった。従って大祭司は民の為に個々の犠牲を献げる外に、「年に一度おのれと民との過失のために」血を献げなければならなかったし、それは年々歳々繰り返えされなければならなかった。この事は献げる大祭司も、献げられる犠牲も、それらが真に目的とする「罪を除くこと」ができなかった事を示している。之に対してキリストは、真の大祭司として立ち給うのみならず、己が身を犠牲として献げ、

「己が血をして……永遠の贖罪を終えた」

もうたのであった。斯くして幕屋の中の聖所と至聖所との別は廃され、大いなる贖罪が一度に成就せられたのである。

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第二章 教会書>第十五節 ヘブル書概説 4  終わり、次は第十五節 ヘブル書概説 5

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