第二章 第十五節 ヘブル書概説 3

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⁋叙上の諸点をみると、筆者の奨励または鼓舞は、単に来らんとする迫害に対して彼らを耐え忍ばせんという目的のみならず、それと共に、更に信仰的または思想的に彼らがその危険の前に立たされている、特殊の「教」に対して、彼らを警告している感をもたせられる。即ち是こそ本書の内容を成しているキリスト論が書かれなければならなかった理由であったらしい。然るに彼らが直面していたと思われる思想的危険なるものが、果して何であったかは、その決定が甚だむずかしい。即ち異教的なるものであったか、或はユダヤ的なるものであったか。然し本書の内容が、それに対して書かれなければならなかったものは、本書のキリスト論論述の妹介となっている旧約的祭司制度の価値を認めることが出来た者であったと、考えるのが極めて当然であろう。少くとも筆者は、この旧約の祭司制度が、キリストとその福音によって置換せられた事を述べることこそ、この書簡の受け取り手なる人々を、その異端思想の危険から救う有力なる議論であると考えたのであったことは明かである。そうでなかったとしたら、筆者はこういう所謂(いわゆ)る手のこんだ論述の仕方はしなかったであろう。この意味においてこの一群の人々が直面していた、知識的危険または思想的誘惑は、ユダヤ的のそれであったと思われる。この事は当然本書の受け取り手が、全部とは云わない迄も、大部分が旧約の祭司制度によって強い誘惑を感じ得る人々——即ちユダヤ的キリスト者であったと思われる。同時に然し本書の内容の思想的構造を理解し得たであろう事を考えれば、彼らが散在のユダヤ人中の教養ある者であったろうことが想像される。然らずとしても、ユダヤ教に可成り深い関係をもっていた、特殊の異邦人教会の一群の人々であったであろう。

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第二章 教会書>第十五節 ヘブル書概説 3  終わり、次は第十五節 ヘブル書概説 4

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