第二章 第十四節ピレモン書概説 6

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第二 信仰的飛躍の決断 2(十五節以下)

⁋聖書は屢(しばし)ば神が一個の人間を用いてこの決断を人に迫り給う事実を挙げている。その最も顕著な例は、エステルに対してこの決断を訴える為用いられたモルデカイの言に見出すことが出来る。即ちペルシヤ王アハシュエロスが、その第二の后(きさき)の選定に当って、その地に散在していたユダヤ人の中のエステルに白羽の矢を立てた。処がそのうちユダヤ人は王の近臣の恨をかった為、その奸計(かんけい)に由て全部殺戮されんとした出来事が起った。その時王の后エステルの養父モルデカイが、この奸計からユダヤ人を救わんが為に、唯一の望の綱なる后エステルにその生命を賭して、ユダヤ人の生命請いをするよう訴えた言が、次の如く録されている。即ち

「女王の家にあれば一切のユダヤ人の如くならずして免がるべしと心に思うなかれ、なんじ若しこの時にあたりて黙して云わずば他の処よりして助援(たすけ)と救拯(すくい)ユダヤ人に興らん、されど汝となんじの父の家は亡ぶべし。汝が后の位を得たるは斯のごとき時のためなりしやも知るべからず」

とは、モルデカイの命じ循つたエステルへの訴の言である(エステル 書四章十三ー十五節)。 この言も「の為なりしやも知るべからず」という摂理的仮定法を用いている。之を摂理とするかしないかは、一にエステルの決断の一点にかかっている。そこには信仰に由る飛躍的決断と、自己投企とが需(もと)められているのである。決断なき処に信仰的飛躍はないからである。
⁋他方・斯くピレモンに訴えるパウロ自身、ピレモンの応答に対して美わしい信頼を示している事に注意したい。

「我なんじの従順を確信して之を書き贈る。 わが云うところに勝りて汝の行わんことを知るなり」

と記されている(二十一節)。
⁋以上のことから結論されるのは、信仰的飛躍とは、人的偶然を神的必然として受け取り直す決断であるということであり、しかして神はキリストに在る友、キリストに在る交りを用いて彼にこの信仰的飛躍の決断を迫り給うということである。信仰の交りとは、それが信仰的飛躍えの媒介とされる処に、その意味をもっていると云える。
⁋パウロは本書簡を記すと共に、ピレモンの属していたコロサイ教会に宛て「汝らの中の一人、忠実なる愛する兄弟オネシモを彼と共につかわす」と記し (四章九節)、更にこのオネシモに関する配慮を示している。何処までも彼の将来が、この老使徒の考慮にあったのである。

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第二章 教会書>第十四節ピレモン書概説 6  終わり、次は第十五節 ヘブル書概説 1

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