第二章 第十四節ピレモン書概説 2

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⁋更に本書の主張は、その対蹠的なるものとして、同著者の肩書きをもつテモテ後書を想起せしめる。テモテ後書は「一人在りて強いこと」こそ、信仰の試金石なりとし、いわば信仰を単独性にみた。それに反してピ レモン書は、密接な信仰の相互扶助をその主題としているからである。人は度々他との信仰的交りを通して信仰的飛躍をさせられる。善き業の人ピレモンも、更により高い信仰の飛躍の為に、斯くの如きパウロの愛と真実をこめた訴を必要とするわけである。また奴隷オネシモの逃亡の出来事と入信とが、今彼をめぐってピレモンとパウロの三人をつなぎ、この「主に在る」三者間の密接な連関と、それぞれの訴とが、三者をして新しい決断へと、それぞれを飛躍せしめる契機とさせられている如くである。
⁋本書の記された時に関する暗示ともみられる言が、本書中に記されていることが注意せられなければならない。パウロは「我がために宿を備えよ、我なんじらの祈により、遂に我が身の汝らに与えられんことを望めばなり」と記し(二十二節)、彼の近き将来における釈放を望んでいたことを示している。或は之によれば彼が第一回の人獄から一と度び釈放せられたものと考えられなければならない。この言とテモテ後書の最後の章とは、この問題に関して重要なとなる。
⁋本書の内容は、甚だ簡単ではあるが次の如く分たれる。
挨   拶 (一節―三節)
第一  信仰的飛躍の要請 (四節—十四節)
第二  信仰的飛躍の決断 (十五節―二十二節)
結  語 (二十三節ー二十五節)

第一  信仰的飛躍の要請 (二節ー十四節) 1

⁋この書の冒頭の挨拶の言からも明かな如く、この書の受け取り人なるピレモンは、パウロの同労者であり、その家族をあげて「家の教会」をもち、主イエスとその凡ての聖徒とに対する熱心な愛と信仰の聞え高く、「善き業」に富む模範的キリスト者である。それ故パウロはその書の約三分の一を費して彼に対する感謝を表明している。

「願うところは、汝の信仰の交際の活動(はたらき)により、人々われらの中なる凡ての善き業を知りて、栄光をキリストに帰するに至らんことなり。兄弟よ・我なんじの愛によりて大いなる歓喜と慰安とを得たり。聖徒の心は汝によりて安んぜられたればなり」

と記している(六ー七節)。
⁋然しこの書簡の目標はそこにはない。ピレモンの愛と信仰とは「聖徒の心を安んずる」といわれている程であるが、ピレモン自身は、その「善き業」に安住することを許されないのである。善き業は恒にそれ自体に価値をもたないからである。要するに信仰者には如何なる安住も許されない。彼は不断に信仰におけるより高き飛躍を要求されるのである。パウロはそこで他の目的の為ではなく、同労者ピレモンのより高き信仰的飛躍の為に、愛と謙譲の限りを尽して訴えている。

「この故に、われキリストに在りて、汝になすべき事を、聊(いささ)かも憚(はば)からず命じ得れど、寧(むし)ろ愛の故によりて汝にねがう。既に年老いて今はキリスト・イエスの囚人となれる我パウロ縲絏(なわめ)の中にて生みし我が子オネシモの事を、汝に願う」

とはその言である (八ー十節)。ここに紹介されているのは、年老いて今はキリスト・イエスの為に囚人となった老使徒パウロ、奴隷の主人なるピレモン及びビレモンの許から脱走して、パウロに導かれて入信し、今はパウロの許に奉仕している奴隷オネシモの三人格である。以上の如き事情のパウロによる解明を通して次の二つの事が明示されている。

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第二章 教会書>第十四節ピレモン書概説 2  終わり、次は第十四節ピレモン書概説 3

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