第二章 第十三節テトス書概説 3

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挨  拶 (一章一節ー四節).

⁋本書の冒頭の挨拶にはパウロの使徒としての召命の目的が明示されている。それは

「永遠の生命の望に基きて神の選民の信仰を堅う」

することであり、

「また彼らを敬虔にかなう真理を知る知識に至らしめる」

為である。此処には選民の信仰の確立と、敬虔にかなう健全なる教とが、教会訓練の目標として先ず指摘されている。しかして次には

「時いたりて御言を宣教にて顕わさんとし、その宣教を我らの救主たる神の命令をもて我らに委ねたまえり」

と叙べられ(一章三節)、教会時代は即ち宣教の時代であることに注目せしめている。

第一  選民的条件としての健全性 (一章五節ー二章)

⁋パウロは使徒行伝を始として彼が特別に「異邦人に福音を伝える器」としての召命を受けたことを明記している(九章十五節・ガラテヤ書二章七節等)。その彼が選民の信仰を確立する為に召されたと本書でいっているのは、異邦人をも含むキリストの教会が真の選民である所から、いよ/\この教会の特殊な選みの自覚を深めることが、教会に課せられた第一義的目標だという事である。
⁋しかして選民性の確立は敬虔にかなう真理としての健全なる教に由らなければならない(一章一節)。故にパウロはテトスをクレテ島に残しおいた理由は、前述の如く、そこに教会生活の健全を確立する為であった事を、

「わが汝をクレテに残し置きたる故は、汝をして欠けたる所を正し、且つわが命ぜし如く、町々に長老を立てしめん為なり」

と明示している(同五節以下)、教会の健全なる形成を期する為には、先ずその指導の地位にある長老・監督が健全性を期する者でなければならない。故に彼らに就ては

「長老は責むべき所なく、一人の女の夫にして、子女もまた放蕩をもて訴えらるる事なく、服従せぬことなき信者たるべきなり。それ監督は神の宮司なれば、責むべき所なく・放綻(ほしいまま)ならず、軽々しく怒らず、酒を嗜(たし)まず・人を打たず・恥ずべき利を取らず・反って旅人を懇(ねんご)ろに待(まちど)い・善を愛し・謹慎あり・正しく潔く・節制にして・教に適う信ずべき言を守る者たるべし。これ健全なる教をもて人を勧めかつ云い逆う者を云い伏することを得んためなり」

と教えられている(同五ー九節)。 一読して明かな如く、此処には何ら深遠な神学も教義も語られていないし、求められてもいない。そこに求められているのは、前述の如く、教会外の人にもそれとして認識可能な健全性であり、且つその目的も、教会に対していい逆わんとする外部の人を云い伏することを得ん為である。
⁋さてテトスの置かれているクレテ島の人は、前述の如く

「常に虚偽をいう者、あしき獣、また懶惰(らんだ)の腹」

と云われる種類の人々である。故にテトスは

「然れば汝きびしく彼らを責めよ」

と命じられ、しかして不敬虔なるユダヤ人に效(なら)うことなく、真の選民性を確立せんが為、真の敬虔と、健全性とを志すべき事を命じてる。そは不敬虔なるユダヤ人は

「既に心も良心も汚れたり、みずから神を知るといいあらわせど、その行為にては神を否む。彼らは憎むべきもの、服わぬ者、すべての善き業につきて棄てられたる者」

であるからである(同十五ー六節)。
⁋然るに教会が選民として求められている健全性は、「善き業」と不可分離のものである。従ってテトスは

「なんぢ自ら凡ての事につきて善き業の模範を示せ。教をなすには邪曲なきことと謹厳と、責むべき所なき健全なる言とを以てすべし。これ逆う者をして、我らの悪をいうに由なく、自ら恥ずる所あらしめん為なり」

と命ぜられ、神の言の宣教者の厳しい責任が述べられている(二章七節以下)。しかしてこの部分は

「キリストは我らのために己を与えたまえり。是われらを諸種の不法より贖い出して、善き業に熱心なる特選の民を己がために潔めんとてなり」

という言を以て結論せられ、理想的選民とは、善き業に熱心なることを以て、その特質とすることを強調している。

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第二章 教会書>第十三節テトス書概説 3  終わり、次は第十三節テトス書概説 4

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