第二章 第十三節テトス書概説 2

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⁋このテトス書は上述の状況の下に、パウロがクレテ島に遺してきたテトスに、そこの伝道の後始末をする為に、書き送った書簡である。その中には教会の統制・健全なる教・善き業等についての勧告が述べられている。本書の主題は一言にいへば、健全なる教に基く教会形成という事である。即ち何よりも「健全なること」が牧会の目標たるべきことがその中に強調されている。健全なる教の強調は、教会の教義的に安定せんとする時期を示唆するものである。本書の冒頭の

「我が使徒となれるは、永遠の生命の望に基きて神の選民の信仰を堅うし、また彼らを敬虔にかなう真理を知る知識に至らしめん為なり」

という言によっても、本書の意味する真理は、敬虔にかなう健全なる真理であり、信仰の訓練の目標も「健全なる教をもて人を勧める」こととされている(一章九節・二章一節・八節)。
⁋然も本書の意味する健全性とは、教会のみに通用する特殊なそれではなくして、教会外の反キリスト教的な人々にも、それと認識されるような健全性である。即ちその健全性は教会に対して

「云い逆う者を云い伏することを得」

るような健全性である(一章九節・二章八節)。要するに教会と外界との接触面への顧慮なしに、教会形成はあり得ないと力説されている。然もこの世との接触面の顧慮が、教会の高く深い本来性の自覚から外れては、この健全性も異質化せざるを得ない。そこで本書は教会の接触面の顧慮を指示する健全性と相俟って、教会の選民的自覚及び聖霊的維新を、健全性の源泉として注視せしめる。
⁋本書中にもこの地の改宗者を攪乱せんとした、若干の者のあったことが記されている。それは然しガラテヤ書におけるそれの如く、理論的に明確なものでもなく、またコロサイ書におけるそれの如く、知識的に進んだものでもなかったらしい。それは主として——「割礼あるもの」または「ユダヤ人と」云われている如く(一章十・十四節)、ユダヤ系の者であり、多少律法的にして禁欲的傾向をもっていた者らしく見える。本書が「健全なる教」という語を繰り返えし用いているのは(一章九節・二章一節・八節)、斯かる異端に対して改宗者を守らんとする意図をもってせられたものであろう。
⁋本書において特に注意せられることは、テトスの留められていたクレテの住民に就て

「クレテ人の中なる或る預言者いう、クレテ人は常に虚偽をいう者・あしき獣・また懶惰(らんだ)の腹なり」

と記されていることである(一章十二節)。これは当時一般に云われていたことであったらしい。 従って教会役員に対する注意や一般信者に対する道徳的訓戒および本書における不信者の道徳的状況を示す極めて低俗なる言は、この環境内の教会に対して与へられたものとして、解釈されなければならない。
本書は次の如く区分せられる。

挨  拶  (一章一節十四節)
第一  選民的条件としての健全性(一章五節―二章)
第二  聖霊的維新としての健全性 (三章一節ー十一節)
結  語 (三章十二節―十五節)

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第二章 教会書>第十三節テトス書概説 2  終わり、次は第十三節テトス書概説 3

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