第二章 第十三節テトス書概説 1

ホーム渡辺・岡村著書新約聖書各巻概説>第二章 教会書>第十三節テトス書概説

⁋テトス書はテモテ前後書と共に、いわゆる牧会書簡と呼ばれているものの一つである。この書簡が宛てられたテトスの名は、不思議にも使徒行伝には一回も表われていない。然し牧会書簡以外にはコリント後書とガラヤテ書とに、彼に対する多くの言及が見出される。此等の言及によると、彼はギリシヤ人であって、パウロの弟子となったのは、テモテより早く、パウロの回心後十七年を経た頃までで(ガラテヤ書二章一ー三節・一章十八節)、彼の名は最初にパウロとバルナバとがエルサレムに上った時の言及において現われている(同章同節)——此のエルサレム行が二回のうちの何れであったか(使徒行伝十一章三十節・十五章二節以下)、之を定めることはできない。これ以後彼はパウロの不断の補助者となったらしく、このテトス書の挨拶にも、テモテに対すると同様「同じ信仰によりて我が真実の子たるテトス」と呼びかけられている。パウロがエペソに居た時(使徒行伝十九章)、彼は寄附金を集める為にコリントに遣わされ、「甚だ熱心に」これを遂行したようにみえる(コリント後書八章六・十七節)。然も彼はそこで真実に且つ公正にこの事を行った(十二章十八節)。加之(しかのみならず)・コリント教会とパウロとの間の諸種の情報の伝達者としては、彼は重要なる役を果したようにみえる(同二章十三節・八章六節)。
⁋このテトス書の内容は、後述するように、テモテ前書に似たものであるが、その中に

「我アルテマス或はテキコを汝に遭わさん、その時なんじ急ぎてニコポリなる我がもとに来れ。われ彼処にて冬を過さんと定めたり」

と云われている(三章十二節)。この言によると、この時のパウロの境遇は、テモテ後書におけるそれとは全く異り、自由であったように見える。
⁋従ってこの書簡も、テモテ前書同様パウロの最初の入獄からの釈放と最後の入獄との間に記されたものと考えなければならない。この想定によると、この書簡が送られた時テトスの居たクレテ島の伝道は、パウロの第一入獄と第二のそれとの間に行われたものとなる。つまりその伝道のあと始末の為に、テトスはここに遺されたのであったが——

「我が汝をクレテに遺(のこ)し置きたる故は、汝をして欠けたる所を正し、且つ我が命ぜしごとく町々に長老を立てしめん為なり」

といわれている如く(一章五節)——然しこれも更めて彼に代る者が送られるまでの短期間のことであったらしい(三草十二―十三節)。この彼に代る者がこの書簡をテトスの許に齎(もたら)したものであろう。テトスはこの書簡を受けてのち、ニコポリに行ったものと思われるが、パウロの最後の日には彼は、パウロの使者としてダルマテヤに遣わされていたと記されている(テモテ後書四算十節)。

ーーーー

第二章 教会書>第十三節テトス書概説 1  終わり、次は第十三節テトス書概説 2

ホーム渡辺・岡村著書新約聖書各巻概説第二章 教会書>第十三節テトス書概説 説 

 
 

コメントを残す

WordPress.com で次のようなサイトをデザイン
始めてみよう