第二章 第十二節テモテ後書概説 1

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⁋テモテ後書は前書と同じく若き伝道者テモテに、使徒パウロによって送られた書簡である。然しこの両書は二つの点において異っていることがみられる。一は筆者パウロの境遇で、他は書簡そのものの目的である。
⁋先ず筆者パウロの境遇に就ていうと、前書においては既述した如く、彼は自由の身であって近き将来においてテモテの許に行かんとしていることを述べているが、この後書においては、彼はその最後を目前にひかえ、

「我は今・供物として血をそそがんとす、わが去るべき時は近ずけり……走るべき道程を果し」

たと記している(四章六ー七節)。加之(しかのみならず)・彼の身辺の人々は、多く彼を棄て去った。

「アジアに居る者みな我を棄てしは、汝の知る所なり」

といわれ、

「デマスは此の世を愛し、我を棄ててテサロニケに往」

ったと記され、またパウロが信任していた。

「テトスはダルマテヤに往」

って留守であったと記されている(一章十五節・四章十節)。 然も

「わが始の弁明のとき誰も我を助けず、みな我を棄てたり」

——「始の弁明」とは、この最後の裁判における第一回弁明を指す——という悲壮な言が附け加えられている(四章十六節)。従って本書簡はパウロの最後の書簡とみらるべきものである。この後書と前書とを異らせている次の点は、テモテに対するパウロの勧告の角度またはその執筆の目標においてである。即ち前書は伝道者対教会員の関係及び教会の秩序に関する教が筆者の目標とせられているが、この後書においては彼の目標は専ら「伝道者としての在り方」という点におかれている。
⁋この「伝道者としての在り方」に関する、パウロの教は、次の三点に分けて語られている。先ず第一に・福音の役者として苦難に堪え抜く強靱性の欠くべからざること、第二に・役者として真理の言を正しく教え・神の前に錬達せる者となるべきこと、第三に・末の世の苦難に際しても福音の役者たる者は、迫害を覚悟し、一人在りて強かるべきことである。かくして、死に直面せるパウロは、彼自身の心境を記して、テモテに対し伝道者たることが、何を意味するかという遺言を記しているのである。

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第二章 教会書>第十二節テモテ後書概説 1 終わり、次は第十二節テモテ後書概説 2

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