第二章 十一節 テモテ前書概説 4

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⁋この前後書の間にみられるパウロの身辺状況の差異が、彼の入獄を二回とし、ロマのそれから一度釈放されてのち、再度捕われて死に致されたものとする、過去の主張が生れたわけである。従ってテモテ後世におけるパウロは、他の獄中書簡を記した当時の彼の入獄ではなく、第二回のそれであって、その結果彼は死罪に行われたということになる。
⁋このテモテに宛てられたテモテ前後書は、その主題が伝道者に対する牧会上の指導と奨励とであるということにおいてのみならず、その福音理解において、一つの特徴をもっている。それは一言でいえば、福音が定型的に理解せられ、一方には敬虔に価値がみられ、他方には福音が一つの「教」とせられている事である。先ず第一の「敬虔」に就てみるとこの前後書において、この語が種々な形においてではあるが、約一〇回程用いられ、可成り重要な位置をもっている (前書二章二節・三章十六節・四章七師・八節・六章三節・五節・六節・十一節・後書三章五節・二章九節・三章十二節等)。この語は他のパウロ書簡には全然用いられていない語で、そこにはこの語の正反対の語ともいうべき、「不虔」または、「敬虔ならぬ者」が用いられているのみである(ロマ書一章十八節・十一章二十六節・四章五節・五章六節)。テモテ前後書において用いられている前後関係からみると・此の語は「キリストにある信仰と生活との渾一的表現」を意味しているように思われる。

「凡そキリスト・イエスにありて敬虔をもて一生を過さんと欲する者」(a godly life in Christ Jesus)

という言は、最もよくこの意味を表現している(後書三章十二節)。従って信仰者は、この「敬虔を修業」しなければならないといわれる(前書四章七節)。
⁋次に第二の「教」に就ていうと、この両書には繰り返えして「健全なる教」または「善き教」と、これを「教えること」とか、 若きテモテに勧められている(前書一章十節・四章六節・十一節・十六節・六章一節・二節・三節・後書二章二節・四章三節等)。勿論福音が一つの「教」をもってそれが伝えられる途とせられている事は、既にロマ書にも表わされていることであるが——「伝えられし教の範」(六章十七節)——この前後書においては、この種の表現の用いられ方が極めて多くなっていることと、その上に特に重要な価値が附されていることが注意せられる。

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第二章 教会書>十一節 テモテ前書概説4 終わり、次は十一節 テモテ前書概説 5

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