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⁋このテモテに宛てられた前後書は、その筆者とせられているパウロの境遇に関して、著しい差異を示している。便宜上先ず後書におけるパウロの境遇をみると、彼は獄中に在ったが、その在り方が他の獄中書簡が示しているそれとは非常に異っている。他の獄中書簡においては彼がおかれていた獄がカイザリヤであったか、ロマであったかが明瞭でないが、本書における彼は明かにロマのそれにいた(一章十七節)。またピリピ書をみると彼の状況は極めて自由であったのみならず、多くの「兄弟」たちが彼の処に出入していた(一章十二節以下)。然るに本書における彼は
「アジアに居る者みな彼を棄て」
たし、
「デマスは彼を棄ててテサロニケに往」
ったし、また彼の
「始の弁明の時、誰も彼を助けず、みな彼を棄てた」
といわれている(後一章十五節・四章十節・ 十六節)、またピリピ書をみると、彼はやがて釈されてピリピに
「速かに行くべきを主によりて確信」
している(二章二十四節)。然るに本書においては彼は全くそんな望をもたず、
「我は今・供物として血をそそがんとす、 わが去るべき時は近ずけり」
といっている(後四章六節)。また他の獄中書簡には彼の裁判は未だ行われなかったように記してあるが、本書においては既に「始の弁明」が終り、前述の最後が来たものの如くである(四章十六節)。以上がテモテ後書をパウロの「最後の書簡」と観させて来た理由である。
⁋然るにテモテ前書をみると、パウロの境遇は全く異っている。本書においてはパウロは、エペソに在るテモテに向って(一章三節)、
「われ速かに汝に往かんことを望めど、今これらの事を書きおくるは」
といい、また「わが到るまで」と記して(三章十四節・四章十三節)、彼の身が自由であることを示している。
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