ホーム>渡辺・岡村著書>新約聖書各巻概説>第二章 教会書>第十節テサロニケ後書概説
⁋テサロニケ後書は主の再臨に対する誤解を訂正する目的を以て認められている。
「兄弟よ、我らの主イエス・キリストの来り給うことと、又われらが主の許に集うことに就きては汝らに求む。或は霊により・或は言により・或は我等より出でし如き書により・主の日すでに来れりとて容易(たやす)く心を動かし、かつおどろかざらん事を」
とは本書の中心的警告である。パウロはこの教会に宛てて、「前書」を書き送ってのち、 何人かを介して教会の現状をきかせられた。(三章十一節)。即ち或る攪乱者が「或は言により」、あるいはパウロ等「より出でしごとき書により」再臨既に来れりと聴かされたこの教会の信者らが可成り動揺したことを知った(二章二節)。これを是正せんが為彼はこの「後書」を記して、
「堅く立ちて我らの言あるいは書に由りて教えられたる伝を守れ」
と勧めたのである(二章十五節)。
⁋この書の「前書」においては、主の日即ち再臨は「盗人の夜きたるが如くに来る」ことを微べたが、本書は、その主の再臨に先き立って背教その他の出来事の起ることを告げ、且つ主の再臨は決して手をこまぬいて待つべき対象ではないことを告げる。斯くして本書は再臨俟望に対する狂熱的態度を戒め、現在の日常生活を充実すべきことを訴え教える書である。未来観を抜きにした現在観というものが誤りである如く、現在にその独自な意味と充実とを与えぬ未来観は空虚に等しいからである。それ故本書は妄(みだり)りなる者に向って
「静かに業をなして己のパンを食せんことを、我らの主イエス・キリストに由りて命じ・かつ勧む」
と戒めている。本書の内容は次の如く区分される。
挨 拶 (一章一―二節)
第一 再臨の意味する処 (一章三節—十二節)
第二 再臨を予告する事 (二章一節―十二節)
第三 再臨を俟望する者 (二章十三節―三章十五節)
結 語 (三章十六節—十八節)
ーーーー
第二章 教会書>第十節テサロニケ後書概説 1 終わり、次は第十節テサロニケ後書概説 2
ホーム>渡辺・岡村著書>新約聖書各巻概説>第二章 教会書>第九節テサロニケ前書 概説