第二章 第九節テサロニケ前書概説 2

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第一 患難への定め(一章二節―三章)2

(1) 定まれる患難への処し方 (一章二節ー二章十二節)  

⁋教会は何に向って存在するかといえば教会の首(あたま)なる主の再臨に向って存在する。

「偶像を棄てて神に帰し、活ける真の神に事え、神の死人の中より甦えらせ給いし御子、すなわち我らを来らんとする怒より救い出すイエスの、天より降り給うを待ち望む」

というこの待望に向って生きるのが教会である(一章九ー十節)。然しこの待望に生きる教会は患難から免れるのではなくして、反って、その患難に徹すべく命じられている。パウロは先ず彼らが如何に勇々しく患難に堪え、如何にその患難に徹しつつ福音を宣べ伝えたかを記している。それは

「前に我らは汝らの知るごとく、ピリピにて苦難と侮辱(はずかしめ)とを受けたれど、我らの神に頼りて大いなる紛争のうちに、仰らず神の福音を 汝らに語れり」

という言、及び

「兄弟よ、なんじらは我らの労と苦難とを記憶す、われらは汝らの中の一人をもわずらわすまじとて、夜昼・工(わざ)をなし、労しつつ福音を宣べ伝えたり」

という言に明示されている(二章一―二節及同九節)。ここにはパウロとテサロニケ教会の人々との間の比類なき親愛感が、

「汝らの中にありて優しきこと、母の己が子を育てやしなう如くなりき。斯く我らは汝らを恋い慕い、なんじらは我らの愛する者となりたれば、啻(た)だに神の福音のみな らず、我らの生命をも与えんと願うなり」

という言に表現されているが、パウロ等一行は、この親愛感を利用してその思難を軽減しようとはせず、反って誰をも煩わせず、患難に徹したことを確認せしめている。

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第二章 教会書>第九節テサロニケ前書概説2 終わり、次は第九節テサロニケ前書概説 3

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