第二章 第七節 ピリピ書概説7

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第二  価値転換の原型 (二章) 2

⁋ここで神の子の十字架に示された自己空虚化が、価値転換の「原型」であるという事に注目したい。原型とはそれが他においてまた出来事となるという事である。

「この故に神は彼を高くあげて、之に諸ろの名にまさる名を賜いたり。これ天に在るもの、地に在るもの、地の下にあるもの、悉くイエスの名によりて膝を屈め、且つもろもろの舌の『イエス・キリストは主なり』といいあらわして、栄光を父なる神に帰せん為なり」

と記されている(同九節以下)。神と等しきイエス・キリストの自己空虚化の極みにおいて、全被造物が「イエス・キリストは主なり」と告白する出来事が起るというのである。自己肯定に生き、自己を主ともし、神ともする被造物において「イエス・キリストは主なり」と告白すること、これは我を主とする事から絶対他者なるキリストを主とする事への革命的な価値転換である。さればパウロはピリピ教会に向い

「畏(おそ)れ戦(おのの)きて己が救を全うせよ。神は御意を成さん為に汝らの衷にはたらき、汝等をして 志望 (こころざし)をたて、業を行わしめ給えばなり」

といっている(同十二節以下)。神は福音に由て人間の心に価値転換を起させつつ、その聖意を成就せしめたまうからである。

⁋続いてこの部分は、この価値転換を味わしめられた実例を教会の肢(えだ)において立証せんとしている。即ちその殉教の血をそそぐことをさえ喜びとするパウロ、

「人は皆イエス・キリストの事を求めず、唯だおのれの事のみを求」

める中に在って唯だ一人、パウロと同じ心をもって、真実に教会員のことを慮(おもんば)かるテモテ、及び

「己が生命を賭けてキリストの事業のために死ぬるばかりに」

なったエパフロデトの事が挙げられている。再びいう・原型とは、それが他においてまた出来事となるという事である。教会とは、その中の出来事において、その原型なるキリストが指さされ、証されるところである。

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第二章 教会書>第七節 ピリピ書概説 7 終わり、次は第七節 ピリピ書概説 8

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