第二章 第六節 エペソ書概説14

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第三 充す教会の歩み (四章ー六章)2

(2) 教会のもつべき盈満感 (四章十七節―二十一節)  

⁋神を知らざる異邦人の歩みは「その心の虚無に任せた」歩みであるのに対して、教会の肢たる者は

「まどわしの欲のために亡ぶべき前の動作(ふるまい)につける旧き人を脱ぎすて、心の霊を新たにし、真理より出ずる義と聖とにて神に象(かたど)り造られたる新しき人を著るべき」

である(同二十二節以下)。然るにここに「著(き)るべき」といわれているのは、既に著ているから、その事を自覚して生きよという意味である。 それは 「神の聖霊を憂(うれ)えしむな、汝らは贖罪の日のために聖霊にて印せられたるなり」という言に由ても裏付けられている。即ち、この新しき人を著ているということの自覚を与える者は聖霊である。然ればキリスト者の歩みは大局的には「此の聖霊を憂えしめない」という在り方、即ち聖霊に満たされた盈満感であるべきである。

「汝ら人の虚しき言に欺くな」「実を結ばぬ暗き業に与(くみ)する事なく、反って之を責めよ」、「光の子供の如く歩め、光の結ぶ実はもろもろの善と正義と誠実なり」

という言も凡て、

「万物を以て万物に満したまう者の満つることそのこと」

なる教会に要請される歩みに就ての勧告である。

「この故に愚かとならず、主の御意の如何を悟れ、酒に酔うな、放蕩はその中にあり、寧ろ御霊にて満たされ、詩と讃美と霊の歌とを以て語り合い、また主に向いて心より且つ歌い、かっ讃美せよ、凡ての事につきて常に我らの主イエス・ キリストの名によりて父なる神に感謝し、キリストを畏(かしこ)みて互に服(したが)え」

とは、盈満(えいまん)者キリストの自覚として教会の肢たる者に求められる盈満感である。

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第二章 教会書>第六節 エペソ書概説 14 終わり、次は第六節 エペソ書概説 15

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