第二章 第六節 エペソ書概説9

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第一 充す教会の選み (一章―二章)5

(3)教会の選みの具現 (一章十五節ー二章) 1

⁋この部分には

「神はその大能をキリストのうちに働かせて、これを死人の中より甦えらせ、天の所にて己の右に坐せしめ、もろもろの政治・ 権威・能力・支配また啻だにこの世のみならず、来らんとする世にも称うる凡ての名の上に置き、万の物をその足の下に服わせ、彼を万の物の上に首(あたま)として教会に与え給えり。この教会は彼の体にして万の物をもて万の物に満し給う者の満つる所なり」

と記され、教会の選みは、教会が「キリストの体」とされた事において全く具現した事に注目せしめている(一章二十節以下)。 然し教会が宇宙的虚無を充す主体なのではなく、教会は充し給う「キリストの充つることそのこと」である。然れば教会はこの驚くべき神の奥義を「悟る」という一事を要求されているのである。

「この故に我らの主イエス・キリストの神、栄光の父、なんじらに知恵と黙示との霊を与えて、神を知らしめ、汝らの心の眼を明かにし、神の名にかかわる望と聖徒にある神の嗣業の栄光の富と、神の大能の勢威(せいい)の活動によりて信ずる我らに対する能力の極めて大いなるとを知らしめ給わんことを願う」

と記されている所以である(一章十五節以下)。福音書は聖霊の与えられる前の弟子らの知的限界を共通的に指摘しているが(ヨハネ伝十六章十二節・ルカ伝十八章三十四節・マタイ伝二十六章三十一節等)、真理の御霊なる聖霊を与えられた教会には、凡ゆる真理と奥義とを「知ること・悟ること」が許されている。聖霊は「悟らしめる神の迫り」を以て迫り給うからである。万物を以て万物に満し給うキリストを首とする教会は、従って「悟る体」であると 規定する事が出来る。

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第二章 教会書>第六節 エペソ書概説 9 終わり、次は第六節 エペソ書概説 10

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