第二章 第六節 エペソ書概説6

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第一 充す教会の選み (一章―二章) 2

(1) 教会の選みの秘義 (一章三ー七節) 1

⁋この選みに関しては「教会の祝福と選択と決定」の三側面が分析されている。その祝福

「キリストに由りて霊のもろもろの祝福をもて天の処にて我らを祝し」

と述べられている処であり、その選択

「御前にて潔く取なからしめん為に、世の創の前より我等をキリストの中に選び」

と記され、その決定

「御意のままにイエス・キリストに由り愛をもて己が子となさんことを定め給えり」

と記されている処である。ここでは先ず、この三つのことが為された「場」と「時」とに留意されなければならない。「場」に就ていえばそれは「天の処にて」である。従ってこれらは凡て教会の「天的祝福」であり、「天的選択」であり、「天的決定」である。天の処とはいい換えれば、「キリストの中に」ということであり、「キリストに由りて」という事に他ならない。 この事は何を意味するであろうか。 神は教会をその現実態の不完全において視給わず、実にこれをその潔く瑕(きず)なき独子「キリストの完全」において視給うということである。

⁋次に教会の天的祝福と選択と決定のなされた「時」に就ていえば、それは「世の創の前より」である。それは然し「キリストの中に」・「キリストに由りて」という選みの場を分析することに由てのみ出てくる「時」である。即ちキリストは、世の太初から神と共に先在し給うたロゴスである。「世の太初(はじめ)」から先在するロゴスは即ち歴史の原なる存在であり、「原歴史」Urgeschichte (prehistory)なのである。 エペソ書の提示する教会は「永遠の相において」観られていると既述したが、それは厳密にはこの原歴史からの教会の位置づけを意味するのである。この原歴史の光に照してみる時、旧約を貫いてみられる信仰者の選みも、実は個々がばらばらであるように見えながら、実はそれが唯だ一つの「キリストの中に」という選みの「場」をもっていたことが明かになる。

「汝らの父アブラハムは、我が日を見んとて楽しみ、 且つこれを見て喜べり」

と語り給うたとするヨハネ伝の記すイエスの言の意味も、エペソ書のこの言の光に照してみられる時、そのかくされている言の含蓄が明るみに持ち出されるわけである(ヨハネ伝 八章五十六節)

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第二章 教会書>第六節 エペソ書概説 6 終わり、次は第六節 エペソ書概説 7

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