第二章 第六節 エペソ書概説4

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⁋本書の特徴は第二に・このキリストの中に選まれた原教会が、地的に具現したその「目的」 に就て述べている点に視られる。その目的とは

「この教会は彼の体にして万の物をもて万の物に満し給う者の満つることそのこと」

であると記されている如く、「宇宙的虚無を満すことその事」である。ここに意味されている「万の物」とは全被造物である。この言によれば、全被造物は全被造物を以て満されるべきものであるというのである。それは他でもない、全被造物は現在のままでは空虚であり、虚無である事を示唆している。この言の含蓄を理解せんが為には、特にヨハネ伝及びロマ書が与える光に拠らねばならない。即ちヨハネ伝は世の創から在ったロゴスをその序文で紹介し、そのロゴスは創造のロゴスであることを述べ、

「万の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし」

と、ロゴスと全被造物との原関係を叙している(一章三節)。即ち創世記によると、被造者である人間が「神の如くならん」とした結果、創造の秩序を破壊し、この人間の罪に由て罪が世に入り、世が堕落したといわれている(三章以下)。 この世が堕落したということはこれを別な言で表わすと、宇宙がロゴスに由る有機的性格を失い、全体と部分との有機的連関を喪失し、その意味において「虚無」(むなしき)に帰せられたというのである。 この「虚無」とはマタイオテス(Mataiotes)というギリシャ語で、 この語は伝道書の「空の空なるかな、都(すべ)て空なり」の「空」というヘブ
ル語の訳語として七十人訳に用いられた語である。

⁋この個と全の投映関係の破れた宇宙的結果を、ロマ書は「造られたるものの虚無に服した姿」 説と呼んでいる(八章十八節以下)。全を映さなくなった個とは、それが由て存在し得る根拠と目的とを喪失した個なるが故に、それは全く本質的な虚無状態においてある。満たさるべきはこの全被造物の虚無である。この事をロマ書は「我らは知る、すべて造られたるものの今に至るまで共に嘆き、ともに苦しむことを」といっている (八章二十一及二十二節)。従ってエペソ書の上述の言は、この虚無になった世界(コスモス)を、その全は個を映し、個は全を映すという有機的統体たらしめるようにするのがロゴス・キリストの盈満そのものであり、このロゴス・キリストの盈満こそキリストの体なる教会であるという意味である。全被造物が創造のロゴスを悟る時とは、全宇宙がキリストに帰一する時である。換言すれば、この全被造物のキリストに帰一する「場」 が教会である。然れば教会は単に個々孤立したものでないのは勿論、単に民族的なものでもない。実に教会は「キリストに於ける世の創の前からの選みの故に」宇宙の核心であり、宇宙大であり、宇宙的盈満そのものなのである。

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第二章 教会書>第六節 エペソ書概説 4 終わり、次は第六節 エペソ書概説 5

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