第二章 第六節 エペソ書概説3

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⁋本書は教会の本質を教えるに当り、先ずこれを「キリストの体なる教会」として規定している。 その意味において、「教会の首なるキリスト」を強調するコロサイ書と相対応している。 本書が新約聖書中におかれている事によって、教会が創世前より選まれたものであり、且つ教会は「キリストの体」としての有機体的構造をもつものである事の充全なる解明が、初めて与えられるといっても過言ではない。
⁋本書の特徴は第一に・教会は宇宙を充たすキリスト御自身の「盈満(えいまん)」であると観ている点である。即ち教会は容器ではなくして、 キリストの盈満(えいまん) そのものである。

「この教会は彼の体にして万の物をもて万の物に満し給う者の満つる所なり」

という言の「所」 という辞義は、その意味することを邦語において表現するのが甚だ困難なるが為当てられたものであるが、実は本書の読者はこの語によって教会を「いれもの」(容器) の如く解する危険をもたされている。従ってこの言は厳密にいえば「この教会は彼の体にして万の物をもて万の物に満し給う者の満つることそれ自体 (盈満)なり」 と訳すべきであろう。英訳聖書に拠れば是は、 “………to the church, which is his body, the fullness of him that filleth all in all” と、訳されている。

⁋地上の教会は既述した如く、ペンテコステの日に、聖霊の降臨によって始められて以来、世界的目標の下に発展しつつあるものである。然し教会の存在の総体は、地上の具体的教会の在り方とその発展過程とを、如何に分析しても尽すことは不可能である。教会の本質は、むしろ 「原教会」Urkirche に遡ってみられなければならない。
⁋ヨハネ伝も教会を「原教会」の相においてみている。但しヨハネ伝ではこの原教会をロゴスの受肉者キリストの中に「潜在するもの」として語った。然るにエペソ書は「世の創の前からのキリストにおける原教会の選み」を語り、地上の教会を、この原教会の「地的具現」であると観ている。旧約聖書の核心をなす詩篇は

「神よ御言は天にて定まれり」

と歌い(百十九篇八十九節)、神の聖旨の彼岸的決定を仰いだが、 新約聖書の核心をなすエペソ書は、キリストと教会との結びつきを夫婦関係の秘義において語り、そこに天的決定の「地的具現」を観ている。

「汝等もキリストに在りて共に建てられ、御霊によりて神の 御住(みすまい)となるなり」

という言は、天的神的なるものと、地的人的なるものとの奇しき渾一態としての教会形成を指し示すものである(二章二十二節)。

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第二章 教会書>第六節 エペソ書概説 3 終わり、次は第六節 エペソ書概説 4

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