第二章 第五節ガラテヤ書概説6

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第二 パウロの福音的義認の論証 (三章ー四章)1

⁋「愚かなるかなガラテヤ人よ、十字架につけられ給いしままなるイエス・キリスト汝らの眼前に顕わされたるに、誰が汝らを誑(たぶら)かししぞ」

という厳しい譴責(けんせき)の言を以てこの部分は始められる(三章一節)。しかして抑(そもそ)も彼らガラテヤ人が教会に加わり聖霊を受けたことは律法の行為に由るものか、信仰に由るものかを自問させる。次いで福音の中心たる信仰義認を、選民の祖にして信仰の祖なるアブラハムに遡って論証する。即ち此処では「割礼によらずば救われず」とするユダヤ的キリスト教の主張を、選民の歴史からの反証に由て否定せんとする。第 一に・パウロはキリストに対してもつ律法の位置を選民史から遠近法的に規定する。律法とは人をキリストに導く役守(もりやく)に過ぎないというのがその結論である。即ち選民の歴史の始点に立つのがアブラハムであり、その極点に立つのがキリストである。そこでアブラハムは信仰の歴史の先端にキリストを指さして立っている。アブラハムは

「神を信じ、その信仰を義とせられた」

のであり、彼の信仰は神の約束に対する信仰であった。この約束は

「かの約束はアブラハムとその裔(えい)とに与え給いし者なり、多くの者を指すごとく裔々にとは云わず、一人を指すごとく、汝の裔にと云えり、これ即ちキリストなり」

という言に明示されている(三章十六節以下)。

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