第二章 第五節ガラテヤ書概説2

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⁋即ち福音とは信仰のみに由て義とされることであり——信仰義認——それは正に律法からの自由である。この一点を譲ることは福音の純粋性を割り引きし、これをユダヤ主義化することを意味する。これこそキリスト教会の死活問題である。従って本書を貫くものは、律法からの自由としての福音を全的に受け容れるか否かの二者選一的迫りである。「此か彼か」の二者選一を迫る本書の雰囲気は烈しく厳しい。それはピリピ書の

「かれは我が縲絏(なわめ)に患難を加えんと思い、誠意によらず、徒党によりて之を宣ぶ。さらば如何ん、外貌(がいぼう)にもあれ、真にもあれ、孰(いず)れも宜ぶる所は、キリストなれば、我これを喜ぶまた之を喜ばん」

という表現とは対蹠的に、狭くして烈(はげ)しい(一章十七・八節)。また福音の本質を信仰義認という一点から論争的に主張する点は、ロマ書のそれに似ているが、両書はその叙述様式から云って大きい差異をもっている。即ちロマ書は、体系的に整然とした福音的宣言であるが、ガラテヤ書は鋭く且つ整然 たる論争文書であり(Streitschrift)、それは実に福音的真理擁護の為のパウロの「体当り」と いうべきものだからである。

⁋本書は次の如く区分される。
挨 拶 (一章一節ー五節)
第一 パウロの使徒的召命の実証(一章六節―二章)
第二 パウロの福音的義認の論証 (三章ー四章)
第三パウロの信仰的実践の要請 (五章―六章十節)
結 尾 (六章十一節—十八節)

⁋この書簡はその冒頭の挨拶に本書全体の気迫を示している。即ち本書は「人よりに非ず、人 に由るにも非ず、イエス・キリスト及び之を死人の中より甦えらせ給いし父なる神に由りて使徒となれるパウロ、書を……ガラテヤの諸教会に贈る」という書き出しをもっている。これ はいうまでもなく、本書の差し出し人パウロの使徒的召命を読者に確認せしめる言である。しかして冒頭の二章はパウロのこの「上よりの」使徒的召命の実証に費されている。

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第二章 教会書>第五節ガラテヤ書概説 2 終わり、次は第五節ガラテヤ書概説 3

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