第二章 第四節 コリント後書概説11

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第三 使徒パウロの権威行使 (十章ー十三章十節) 1

⁋この部分は

「我は数(かぞ)うるに足らぬ者なれども、何事にもかの大使徒たちに劣らざりしなり。 我は徴(しるし)と不思議と能力ある業とを行い、大いなる忍耐を用いて汝等のうちに使徒の徴をなせり」

という言に明示されている如く、パウロの使徒としての権威が表面に押し出されている。しかしてこの部分の最後に、この手紙を書いている動機に就ても、

「われ離れ居りて此等のことを書き贈るは、汝らに逢うとき、主の破る為ならずして建つる為に、我に賜いたる権威に随いて厳しくせざらん為なり」

といっている処に注意しなければならない(十三章十節)。 この部分は

「汝らに対し面前にては謙り、離れいては勇ましき我パウロ 、自らキリストの柔和と寛容とをもて汝らに勧む」

という言を以て始められて居り、彼の態度には牧者としてのそれから移って、使徒として語るパウロの口吻(こうふん)が明瞭になっている。さてこの「面前にては謙り、 離れいては勇ましき我パウロ」とは、使徒パウロに対してコリント教会側から投げかけられた非難の声である。この事は

「彼らはいう、その書は重く、かつ強し、その逢うときの容貌は弱く、言はいやし」

と記している処によっても知られる (十章十節)。 これは前述の如く、コリント教会の信徒の中には、パウロの使徒的権威を疑い、彼の人格を誹謗する者があったからである。しかしてパウロの容貌、弁舌とその書簡とに就いていったものである。彼はその容貌は余り立派でなく(容貌は弱く)、その言語と表現とは余り雄弁でなかった(言は鄙(いや)し)と想われる。 彼の容貌および態度が余り立派でなかったことは、バルナバと彼とがルステラにおいて生れながらの跛者(はしゃ)をいやした時、バルナバを「ゼウス」神とし、彼を「ヘルメス」神としたことによっても想像できる (使徒行伝十四章十二節)。 また彼が雄弁でなかったということは、彼自身

「われ言に拙(つた)なけれども」

といっていることによって明かである(本書十一章六節)。この言が決して謙遜として云われたことでないことは、その次に

「知識には然(しか)らず」

と自負していることによ って明かである (同節)。然し彼の敵がいう如く、「その文は重く・かつ強し」とは、 辞義通り真であったし (十章十節)、 またそうであることが現存の彼の書齢によって明かに知られる。之によって彼が自己の論述の力を語っている言が(十章四ー五節) 真なることがわかる。

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第二章 教会書>第四節 コリント後書概説 11 終わり、次は第四節 コリント後書概説 12

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