第二章 第四節 コリント後書概説4

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第一 役者パウロの確信解明 (一章十二節―七章) 1

⁋この部分全体を貫いて指示されている教会の役者パウロの確信の本質は、

「然りということは キリストによりて成りたるなり」

との一事である。これが一章二章においては専(もっぱ)らコリント教会に対するパウロの関係を背景として述べられ、三章四節以下にはそれがおもに原理的に解明されている。先ず彼はマケドニヤを経由してコリントを訪問する意図を述べ、この訪問の決定も彼の意志であるより、 上からの導きあっての決定であることを述べている。

「斯く定めたるは浮きたる事ならんや。わが定むるところ肉によりて定め、然り然り・否々というが如きことあらんや」

といい、凡て人間の行動は神の前には然りと云われ得ることなく、唯イエス・キリストにおいてのみ、吾人は神の前に神の「然り」(肯定)をもつという事実を提示している。それを表明するのが

「神の約束は多くありとも、然りということは彼(キリスト)によりて成りたれば、彼(キリスト)によりてアアメンあり」

という言である(一章十九節以下)。従ってコリント教会の肢(えだ・てあし)たる者相互の懲罰(こらしめ)に対する彼の忠告においても、教会で採られる一切の行動が、唯一の「然り」なる「キリストの前に」なさるべきことを警告し、

「われ恕(ゆる)したる事あらば、汝らの為にキリストの前に恕したるなり」

と記している(二章五節以下)。パウロのコリント教会に対する熱愛と憂慮は

「われ大いなる患難と心の悲哀とにより、多くの涙をもて汝らに書き贈れり。これ汝らを憂いしめんとにあらず、我が汝らに対する愛の溢(あふ)るるばかりなるを知らしめん為なり」

という言によっても充分窺われるが (二章四節)、次に彼はこのコリント教会に対する彼の憂慮が、如何に唯一の「然り」なるキリストに由て克服されたかを、具体的な事実を以て語っている。即ちパウロはトロアスでコリント教会からの状況報告を持参する筈のテトスに予定通りに遭えなかったので、トロアスで彼の宣教の機会が与えられていたにも拘らず、コリント教会えの憂慮の余りそこを打ち切って海を隔てたマケドニアに向った(二章十二節以下)。

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第二章 教会書>第四節 コリント後書概説 4 終わり、次は第四節 コリント後書概説 5

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