第二章 第四節 コリント後書概説3

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⁋殊に彼らはパウロの弁舌に拙(せつ)なかったらしいことを利用して、それが真の教師ならざることの証拠なりとしている。この事は事実ではあったらしい。パウロ自身

「我言に拙なけれども」

と、之を認めている(十章十節・十一章六節)。この誣告は更に進んで、パウロとは実に恥を知らざる自画自讃を敢えてする人間であり(三章一節等)、 またコリントの信者の上に主とならんとしているといった (十章八節・一章二十四節)。 殊に甚だしかったのは、第二の彼の使徒職に対する否定であった。之に対してパウロは手ひどく皮肉と嘲笑とを以て反撃している(十章ー十二章)。

「我は何事にも、かの大使徒たちに劣らずと思う」

と彼自身に就て記し、

「斯くの如きは偽使徒また詭計(たばかり)の労働人にして、己をキリストの使徒に扮(よそ)える者どもなり」

と、攪乱者を指していっている (十一章五・十三節)。
⁋この彼自身の使徒職弁明に際して、彼自身のをどろくべき経験が語られていることは非常に幸である。特に彼がその伝道旅行中経験した凡ゆる患難と苦悩の記録(十一章二十三節以下)、およびいわゆる「第三の天にまで取り去られた」という経験(十二章一節以下)、および

「我が恩恵なんじに足れり、わが能力は弱きうちに全うせらるればなり。然ればキリストの能力の我を庇(かば)わんために、寧ろ大いに喜びて我が微弱を誇らん」

という注意すべき言などは (十二章九節)その 特筆すべきものである。
⁋この特徴をもつ本書簡は、実に使徒にして・牧会者・且つ教会の役者たるパウロのコリント教会に対する熱愛と憂慮とに満ちた書簡である。その中には全体として「下から」の彼の憂慮 が、 教会の首なるキリストによって、「上から」克服される過程を躍如たらしめている。しか してその構造から見ると本書は次の三区分からなっている。

挨 拶 (一章一節―十一節)
第一 役者パウロの確信解明 (一章十二節ー七章)
第二 牧者パウロの旋与要請 (八章ー九章)
第三 使徒パウロの権威行使 (十章ー十三章十節)
結 尾 (十三章十一節—十四節)

⁋此の書簡の挨拶は、教会を凡ゆる患難のうちに上よりの慰めを以て満し給う神に対する感謝の表示である。しかしてパウロ一行がアジアで遭遇した苦難の甚しさを告げ、如何に彼らが絶望の極に達した時にも、神が彼等を救い給うたかを語り、これは

「己を頼まずして死人を甦らせ給う神を頼まん為」

であったという解釈を与え、いよいよコリント教会も彼らと共に己れを頼まず、この神のみを頼むべきことを奨めている(一章一節―十一節)。

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第二章 教会書>第四節 コリント後書概説 3 終わり、次は第四節 コリント後書概説 4

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