第二章 第三節 コリント前書概説17

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第二 教会の秩序 (十一章ー十五章) 5

(3) 復活の秩序 (十五章)  2

⁋全被造物がキリストに帰一するという思想は、コリント前書独自のものではない。然し万物帰一を復活の秩序と一元的に捉えて展開する処に、本書の特異性が見られなければならない。即ち帰一とは、凡てが一に帰するという点に強調をもつのに反して、復活には、個々のものの個性と差別性とに重点がある事に注目すべきである。復活は古き体そのものの連続ではない、然しその個別性はあくまでも保たれている処に復活の復活たる所以がある。之を語るのが

「血肉は神の国を嗣ぐこと能わず、朽つるものは朽ちぬものを嗣ぐことなし。視よ、われ汝らに奥義を告げん、我らは悉く眠るにはあらず、終のラッパの鳴らん時みな瞬間に化せん。ラッパ鳴りて死人は朽ちぬ者に甦えり、我らは化するなり。そは此の朽つるものは朽ちぬものを著、この死ぬる者は死なぬものを著んとき『死は勝に呑まれたり』と録されたる言は成就すべし」

という言である(五十一節以下)。
⁋従って復活とは、キリストにおける万物帰一に個性的充実を与えるものであるともいえよう。在るべき姿から堕ちて俗化せる教会に対し本書は

「汝らの身はみなその内にある、神より受けたる聖霊の宮にして、汝らは己の者にあらざるを知らぬか。汝らは価をもて買われたる者なり、然らばその身をもて神の栄光を顕わせ」

と命じたが(六章十九・二十節)、この項に至ると、神の栄光を顕わすべく買われた「身」は、実は「復活」に向って贖われた身である事が明示されている。復活を知らぬ世の人の生活原理は

「我らいざ飲み食いせん、明日死ぬべければなり」

である (同三十二節)。 然し復活を頂点とする秩序態なる教会に属する者は、日々朽つる身に朽ち ぬものを著る決断を求められるのである。斯かる復活の原理の日常的体認こそ、教会をその俗化から救う「神の知恵」なのである。

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第二章 教会書>第三節 コリント前書概説17 終わり、次は第四節 コリント後書概説 1

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