第二章 第三節 コリント前書概説15

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第二 教会の秩序 (十一章ー十五章) 3

(2)賜物の秩序(十二章ー十四章)2

(c)賜物の建徳性 (十四章) 

⁋この世の知恵は教会のよるべき神の知恵とは質的に対立するものだと云われたが、此の世の知恵は自己の満足をその目的とするのに反して、神の知恵は「教会の建徳の為」という自己を超えた目的をもつ。それ故教会の肢たる個人の賜物も、それは個人的満足の為に用いられてはならない。そこに賜物の建徳性が語られなければならない理由がある。それ故本書は、誰も悟る者のない異言を多く語ることよりも、教会の徳を建て、慰めを与える予言の能力としての賜物を慕えと勧める(同十九節)。

「然らば汝らも霊の賜物を慕う者なれば、教会の徳を建つる目的(めあて)にて賜物の豊かならん事を求めよ」

と語られている (同十二節)。 教会の賜物が個人の誇(ほこり)、或いは個人の自己満足の為に用いらるべきでないという事は、その賜物は自己を超えた他者即ち教会に在す神と、教会の首(あたま)なるキリストを指し示すものでなければならないという事である。それは教会に入り来る者をして、教会を「超えた」神の臨在を、自ら実感せしめるようなものであるべきだというのである。それを意味するのが

「然(さ)れど若(も)しみな預言せば、不信者または凡人(ただびと)の入りきたるとき、会衆のために自ら責められ、会衆のために是非せられ、その心の秘密あらわるる故に伏して神を拝し、神は実に汝らの中に在す・と云わん」

という言である(同二十四節以下)。教会とは何はさて措(お)き、その場に、見ゆる現実の教会を「超えて」働き給う神が臨在し給うことが顕わな場所でなければならない。それ故パウロは教会の聖歌も・教も・黙示・異言も・その解釈も・みな教会の公同の徳を建てる目的を以てすべきことを命じている(同二十六節以下)。
⁋しかして更にこの建徳性とは教会の秩序感に外ならぬことを強調し、教会の秩序保全の為に神は、賜物相互に制し合う事を許してい給う事実に注目せしめている。即ち

「また預言者の霊は預言者に制せらる。それ神は乱の神にあらず、平和の神なり」

と記し(同三十二節—三十三節)、賜物を与えられた者の「相互制約」という法則を用いて、神は教会内に秩序を保たしめ給う事を明示している。この相互制約は然し、キリストを首とする教会という有機体にのみ許された法則であって、この世の知恵にはそれが許されず、従ってそこには欲しいままなる紛争と分裂が あるのみである。しかしてこの部分は「凡ての事・宜(よろ)しきに適い・かつ秩序を守りて行え」という、教会に属する者の秩序感に訴える命令を以て閉じられている。

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第二章 教会書>第三節 コリント前書概説15 終わり、次は第三節 コリント前書概説16

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